人気ブログランキング |

地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
カレンダー
S M T W T F S
1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30

「再び上岡遺跡」にかかわる整理で修正すること~①条理制遺構

 整理していく中で、修正したいことが幾つか出てきた。
 まず一つ目は、最近整理した条理制遺構について付け加えること。
 条理遺構については、「新井田条理遺構」と「増田条理遺構」について整理してきたが、市史に「増田地域の南方「壷石」東南一帯から伊達町にかけて条理制遺構の伝承がある」との記述を見つけた。
a0087378_527277.jpg
 その壷石の地を確認すると、姥石の道を南に下って、志和田の踏切につきあたるが、その南側の地名のようだ。
 これは、「増田条理遺構」の位置を探しているときに撮った志和田の踏切だ。この踏切の写真の右手に壷石がある。写真の左手に踏切を渡ると伊達市となる。
 その辺りのことをいっているようだ。壷石を坪石とみているのだろうかと勝手に思いながら、地図の航空写真を眺める。

 なお、伊達市側のこの辺りの遺跡を確認すると、直ぐに雷田遺跡・前田遺跡が検索できるが、詳細不明。また、摺上川沿いに川原町遺跡・新町A・B遺跡・長川原遺跡と続くが、こちらも詳細は不明。

 大きなものに飲み込まれると、小さなものの歴史は消える。
 「むら」から「村」への経緯の中でも、旧村の歴史は消える。町村合併の中でも、小さな村の歴史は消えがちだ。特に、「上岡遺跡」のある東湯野の地域は、合併を進めていく中で、湯野町と共に、伊達郡から信夫郡に変わる経緯もある。
 信夫郡は消滅したが、伊達市との境界は、この伊達郡との新たな境界を眺めているという事でもある。

 今回昭和27年の上岡遺跡調査を整理していく中で感じているのは、地域意識の持ち様ということだろうか。
by shingen1948 | 2011-08-10 05:47 | ◎ 埋蔵文化(古墳・それ以前) | Comments(0)