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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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増田村の条理遺構~再び上岡遺跡⑲

 この地区は、西根堰によって開墾されたというイメージを持っていた。しかし、近傍の舘遺跡を確認していくと、増田村は、少なくとも天正の時代から歴史を刻んでいるらしいことが分かる。
 この事は、西根堰開削以前からの耕地の存在ということを想像させる。
 今回の散歩で、この辺りは扇状地の特色があることが実感できたことともかかわる。それは、秋山氏がいう泉水列と名残川の存在とかかわりで、感覚的に西根堰開削以前からの耕地の存在が自然に受け入れられるように思うのだ。
 ここに古くから耕地があったということが納得できるようになっている。この地は、その上に摺上川の河岸段丘と西根堰開削という特色が重なった地域という特色ということなのだろうと思う。

 先に、米川東部の「にいだっぱら」を湯野の「仁井田条理制遺構」として整理したが、その時よりも感覚的に納得ができている。
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 資料に基づいて条理制遺構を探してみた。
 多分、この辺りの風景なのだろうと思う。ここが「増田条理制遺構」ということらしい。これは、その遺構の南東角端から眺めている。
 感覚的にそれらしき風景を嗅ぎわける力はないので、資料によればということだ。

 福島市の条理遺構は、信夫山の北部一帯、丸子、鎌田、瀬上、余目、東湯野、伊達町にかけて存在するらしい。これ等は、地籍図や航空写真で確認でき、耕地整理以前は、東西方向の晆畔・水路が整然と観察できたという。ただ、その条理遺構の時期は不明とも。

 湯野の「仁井田条理制遺構」も東湯野の「増田条理制遺構」も、その中の一つだが、他の地区に比べ小規模な範囲での観察しかできないという特色があるらしい。
a0087378_548363.jpg
 これは、「増田条理制遺構」の北東角端から眺めている。
 この遺構を横切る道の改良に伴って発掘調査が行われたようだ。しかし、この時も時代を判断すべき資料は得られていないようだ。
 だから、起源は明確ではないとのことだが、周辺の古代の遺物を出土する遺跡が数多く確認されていることから、古代まで遡る可能性があるともみられているようだ。調査時にも、縄文土器片、須恵器・土師器等の遺物なども発掘されているようだ。

 この辺り、土地改良による変化は大きいはずなのに、それでも遺構の痕跡が残るのは、基本的には地割が踏襲されてきたと考えられるようだ。近世や現代の改良にともなう水路を確認しても、地割としては現在でも地籍図とほぼ同じ配置であることが確認できるという。
 水田の区画整備は、灌漑引水の地形的な制約を受けるので、制度自体の変化があっても、基本的には区画割りは踏襲されるという事になるという事のようだ。

 ※ 地域や時間的な気遣いをしながらも散歩する者にとって、気になる情報が続いた。
 〇 微量だが「空気中に放射性物質は残っていないと言う専門家もいるが、実際にはまだ検出されている。」とのこと。
 福島大は、5月18日~7月15日の構内の大気を分析した結果、微量の放射性ヨウ素と同セシウムを検出したとか。ヨウ素は6月17日以降は未検出だが、セシウムは毎日検出されたという。
 これに加え、
 〇 東京でも8/5と 8/6にセシウムが微量降ったという情報が……。
 こちらは、5月半ば以来とのことだ。

 
by shingen1948 | 2011-08-08 05:55 | ◎ 埋蔵文化(古墳・それ以前) | Comments(0)