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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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近傍の舘遺跡②~再び上岡遺跡⑱

 「上岡舘」は、今のところ資料はないが、高速道路建設に伴って発掘調査が行われ、城舘が確認されたとのことだ。
 「増田舘」は、関わりそうな資料はあるが、実際に発掘調査で城舘が確認されてはいないということのようだ。
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 その「増田館」は、東側からみるとこちらの方向だが、この奥が行き止まりになっていて、そこに民家があるという現況だ。

 「市史」では、天正元年(1532)以降、西山城とのかかわりで大塚将監の采地とされたものと解説する。三島神社も、将監とのかかわりだとする。天正18年(1890)将監氏は、宮城県に移ったとのことだ。
 日本地名辞典に、その「増田郷」について以下の解説をみる。
 ます田(中世)
 戦国期から見える地名。伊達【だて】郡のうち。天文段銭古帳に「伊達にしね」のうちとして「一,十仁〆四百仁十五文 ます田」と見え,12貫425文の段銭がかけられていることがわかる(伊達家文書/県史7)。「采地下賜録」によれば、当地の柴田在家・黒須在家が大塚将監に与えられ、守護不入とされている。

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 少なくとも、この増田という集落は、中世の時代には歴史を刻んでいたということの証の記録が存在するという事のようだ。


 北側から見る。
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 寺の敷地も含んだ範囲でイメージすればいいのだろうか。
 その寺の駐車場付近からは、こんな感じの風景になる。


 なお、大塚将監とかかわって、先の日本地名辞典「富塚(中世)」の項に次の解説をみる。
 戦国期に見える地名信夫【しのぶ】荘のうち天文段銭古帳に「しのふ北郷」のうちとして「一,五〆五百文 とミつか」と見え、5貫500文の段銭がかけられていることがわかる(伊達家文書/県史7)また「采地下賜録」によれば「富塚在家」が見え, 大塚将監の知行となっている(伊達家文書/山形県史資料篇15上)中通り北部、現在の福島市丸子字富塚前に比定される。

by shingen1948 | 2011-08-06 05:22 | ◎ 埋蔵文化(古墳・それ以前) | Comments(0)