人気ブログランキング |

地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
カレンダー
S M T W T F S
1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30

近傍の舘遺跡~再び上岡遺跡⑱

 昭和27年の新聞記事では、この辺りは弥生時代の遺跡までで、それ以前の遺跡は少ないと解説していいたが、実際には、その逆のようだ。
 古代の遺跡が豊富なのに対して、弥生時代の遺跡は、明確なものは現在でも知られていないようだ。僅かに湯野北部の大船山の開墾地で、石包丁が発見されて、遺跡の存在の可能性があるという程度のようなのだ。

 近くを散策していると、付近の遺跡として紹介される舘跡が気になる。
 マホロンの遺跡データベース検索では、近くでは「上岡舘跡」「志和田舘跡」「塩野目舘跡」「増田舘跡」がプロットされる。
 この近傍の舘遺跡について確認できたことを整理しておく。

 まずは、「志和田舘跡」だが、これは湯野散歩の中で先に整理している。
 地区には、11世紀の半ばの前9年の役で、摺上川を挟んで、源義家と阿部氏の合戦が行われたたという伝説があるという。秋山氏は、市史の中でこれが志和田城とかかわるのではないかとし、宮代城に対峙して白旗の舘と解説する。

 次に、「上岡舘跡」だが、ここは唯一発掘調査が行われている。ただ、上岡舘について知りたいという調査ではなく、高速道路工事に伴い昭和47年に調査されたということのようだ。
a0087378_5334142.jpg
 位置的には、上岡遺跡の岡の南東端の部分で、標高80mの標高線沿いに走る西根下堰が北に回り込んで、その地形的な特色を感じさせてくれる所だ。これは、先に案内板がいう「田屋の清水」を確認した地点から眺めている。

 この調査で、東西160m南北105mの方形の城舘が確認されたとのことだ。
 この調査では、土塁・掘跡・井戸跡が発見され、陶器・木製品・漆器等も出土したとのことだ。秋山氏は、これに加え、柱根が残る柱穴の発掘と内黒土師器が出土も紹介し、鎌倉から室町時代の頃に機能した城舘跡であることが確認されたとする。
 なお、上岡遺跡とのかかわりでは、上岡舘遺跡は、下岡の地になるが、その地下1mから握用尖頭器が出土の情報もある。
a0087378_5353016.jpg
 高速道路沿いの登り道を北側に進むと、やや下ってからまた高台になるのだが、その地点からから上岡舘遺跡方向にカメラを向けると、こんな風景になる。
 この付近が、縄文土器・土師器・須恵器・石器の散布地で、縄文・平安時代の遺跡と考えられている堰上遺跡辺りだろうか。

 マホロンの遺跡データベース検索では、左手の岡を下った平坦地に「増田舘跡」がプロットされる。
by shingen1948 | 2011-08-05 05:37 | ◎ 埋蔵文化(古墳・それ以前) | Comments(0)