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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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再び上岡遺跡⑩~本格調査上の上岡遺跡の位置づけ⑤

 ※ 福島市の測定で、1マイクロシーベルト/時以上の値が出ているのは、今回測定の70%以上のようだ。教育施設なら、表土を剥げば国の補助対象になる。
 それでも、日常と違う感覚に耐えられる時期が過ぎ、日常の感覚で過ごす時間を確保しようと努力している。
 そういう時期なのだと思うのだが、平気で選挙カーがスピーカーを鳴らしながら走り去っていく政治を司ろうとする輩がいる。イラつくのは、市長さんが、某国に福島の安全宣言をなさったという情報がはいったことと何事もないかのように市議会議員選挙を実施することが重なることもある。市は、ごく普通の市民生活が送れる時期と判断するらしい。

 さて、「福島市史」には、上岡遺跡に関わる次のような記述をみる。
 上岡遺跡は、昭和54年に再調査され、この時に、4m下層から「祭祀遺跡」とみられる木製遺構も発見されて注目された。

 更に、八景腰巻遺跡にかかわって、昭和47年(4次にわたる調査で)住居跡プランが福島市内で最初の発見とする記述もみる。
 そして、そこに上岡遺跡の住居跡の写真が掲示される。

 このことと縄文時代の竪穴住居に関わる昭和27年の発掘調査を関わらせて整理してみる。
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 確かに、昭和27年の発掘調査で、ここから発掘された竪穴住居跡は、完全に近い形で発掘されたのではなさそうだ。特に、住居の東側は桃畑への配慮から発掘もされていない。
 それでも、この時に発掘された住居跡は、昭和47年までは縄文竪穴住居の具体的な姿をイメージ出来る大切な遺構だった事が伺える。
 昭和47年に、近くの「八景腰巻遺跡」から福島市内発の住居跡プランが発掘される。そして、この上岡遺跡でも、昭和54年の発掘調査では、完全に近い形で、竪穴住居跡が発掘されたのだろう。 現在、上岡遺跡に関わる縄文時代の竪穴住居跡の写真は、そちらが資料として使われるようになったという事のようだ。
 恐らく「福島市史」に掲げられた上岡遺跡の竪穴住居跡は、昭和54年に発掘された遺跡なのだろうと思う。
 この時点で、昭和27年発掘の炉跡B付近の竪穴住居跡は、上岡遺跡に関わる縄文時代の竪穴住居跡資料としての役割を終えたのだろうと思われる。

 それでも、散歩人が実感を目ざして散策するには、この住居跡のイメージが大切だ。
 例え竪穴住居跡資料としての役割は終えたとしても、「雌性座像土偶」がこの住居跡の西側で発掘されたという関連資料としての役割はまだまだ終えていないのではないかと勝手に思う。
by shingen1948 | 2011-07-26 05:49 | Comments(0)