再び上岡遺跡⑧~本格調査上の上岡遺跡の位置づけ③
2011年 07月 25日
展示会では、和台遺跡と茂庭の遺跡の石器類が展示されていた。また、「福島のあゆみ」では、渡利の絵馬平遺跡の石器類と、月崎遺跡のくぼみ石と茂庭遺跡の石皿が紹介されている。
「福島のれきし」では、ほとんどが「宮畑遺跡」からの出土品で語られる。石錘・土垂・石匙など生活用具の解説は、「福島市教委蔵」として一般化された出土品と、石斧などの複製品と共に提示される。
「上岡遺跡」からの出土品としての石器が見れるのは、図版「福島市史」の石錘2点・土垂6点だ。以下の解説がつく。
楕円形の土製品に穴を開けしばり目のある土の錘、ひもかけ跡をほった石錘がたくさんある。摺上川で魚をとった遺品である。
昭和27年の本格調査としての成果の一つに、摺上川河岸段丘の湧水地帯に、背後には葛の松原の原始林を控え、直下に摺上川を得て漁撈生活も行っていたことを挙げている。
素人目には、この図版「福島市史」が、報告書の成果に忠実に遺品が整理されているという感じがする。
あらためて図版をみると、この遺跡のメインの出土品「座る座像」が4方向からの写真が提示されている。
土器は、注口土器、深鉢形土器だ。恐らく、この本格調査時に発掘された遺品だろうと想像される。報告書にある「炉跡B地点付近からは、北西の柱跡の付近で2個の石の上に置かれた壷形注口土器」と「そこよりやや北側の炉跡Cらしきものの上部から鉢形土器」に対峙するものだろうと想像する。
それに、頭部土偶片2と、雌性胸部土偶片1が提示される。これが、報告書と対比するのは、先に記した以下のことだろうと想像される。
土偶関係では、「雌性座像土偶」は炉跡Bの2.5m西側付近から発掘されているが、その北側から雌型土偶の胸部(先の雌性座像土偶とは違う)・土偶頭部が、炉の東側からは土偶胸部が発掘されたようだ。
上岡遺跡【後期・晩期のくらし】には、「土垂や石錘の魚道具が出土し、近くの湿地から果実が発見されているので、旧摺上川の河岸で水陸の狩猟生活を営んでいたことが分かる」と記す。報告書で強調する摺上川と魚道具のかかわりに、さりげなく<近くの湿地から果実が発見>を加え、<陸の狩猟生活>の営みを加えて解説する。