再び上岡遺跡⑦~本格調査上の上岡遺跡の位置づけ②
2011年 07月 24日
その多くの遺物収拾と整理は、坪池氏の功績のようだ。それだけではなく、この付近からは多くの遺物が発掘されるようで、小学校にも多くが保管されているという。
この回の狭い範囲の調査でも、多くの土器片と共に完全な形の土器遺物が発掘された事も挙げる。
展示会で見た土器類のそれらしい物と関連付けて想像する。
炉跡B地点付近からは、北西の柱跡の付近で2個の石の上に置かれた壷形注口土器、そこよりやや北側の炉跡Cらしきものの上部から鉢形土器、炉の東側の1.3mの深所からは、高林形土器が発掘されたという。
土偶関係では、「雌性座像土偶」は炉跡Bの2.5m西側付近から発掘されているが、その北側から雌型土偶の胸部(先の雌性座像土偶とは違う)・土偶頭部が、炉の東側からは土偶胸部が発掘されたようだ。
報告書では、既に発掘された土偶が10指に余るとし、この調査でも5個が1つの竪穴から発見されたと記述する。
いずれの土偶も分類「太平洋型」に属するとのことだが、専門的な見方は分からない。
この中のどれかが、この炉跡Bの竪穴住居跡から発掘されたのかなと想像しながら、……。
「上岡遺跡について」は、「雌性座像土偶」を特別に次のように紹介してしめている。
「雌性座像土偶」は、前こごみになり膝をたて腕を組み組んだ左手を頬にあてている女性土偶で類品のない特殊なものである。例によって乳房、隆起した腹部は母性を表現する通常の土偶の形式を踏んでいるが、通例の左右相称の姿形を破るポーズで、鋸歯文のある腰部、幅広い腕輪?のようなものをつけ、耳飾りをつけた、極めて写真的なもので、腕を組み○に手を当てている姿は、信仰的なものといわれる土偶の定型から脱けて、造形的、装飾的な意が十分にうかがわれる。一見して、ロダンの名作「考える人」を思わせる。或いは腕を左頬近くに組んでいるのは「憩える妊婦」という題名をつけた造形美術品といった方が適当かもしれない。縄文文化も後期になると造形的な独創性のある製品が多くなるが、この上岡遺跡の人々にも極めて自由な自然生活を風景明媚な丘陵地帯に長い年月を送っていたのであろう。
摺上川での漁撈生活を想像する根拠の石錘、土錘は、この調査での発掘ではなく、それまでの遺物検討の結果のようだ。ただ、それ以外の多くの石器類は、この調査でも発掘されているらしい。