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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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再び上岡遺跡⑥~本格調査上の上岡遺跡の位置づけ

 梅宮氏の「上岡遺跡について」は、上岡遺跡を次のように位置づける。
 一つは、福島の古代人が、高地性遺跡から低地性遺跡に移る中間的な存在として位置付ける。
 この遺跡が、後期から晩期にかけての遺跡であることと、標高80mの河岸段丘線上に位置することからの考察だろう。
 もう一つが、摺上川河岸段丘の湧水地帯に、背後には葛の松原の原始林を控え、直下に摺上川を得て漁撈生活も行っていたことを挙げている。
 その根拠に、石錘、土錘の発見を挙げる。
 更には、縄文文化後期から晩期にかけての多くの竪穴住居群が密集していたことを挙げる。

 そのことにかかわっては、まずは、その完全に近い住居跡として、炉跡B遺跡を中心とした住居跡を挙げている。
a0087378_11355794.jpg
 この竪穴住居は、昭和33年(1958)発行され、新版が昭和42年発行される「福島のあゆみ」で見ることができる。
 「上岡遺跡について」は、この住居を以下のように説明する。
 その竪穴は、長径5m、短径4m前後のほぼ楕円形で、中央に石囲みの炉があり、柱穴が8個検出される。側壁は明瞭ではないが、竪穴跡とみて差し支えないとする。
 そして、この内部及び傍らからは、石の上に置いた土器が発見され、また多くの土偶が検出したことを特筆する。
 そして、3箇所発見された事を挙げる。その一つが炉跡Aで、もう一つが炉跡AとBをつなぐトレンチに炉跡Cの発見であり、そして、炉跡B付近で発見された炉らしいものの事だと思う。


a0087378_11364455.jpg
 写真の撮られた方向に合わせて説明図を並べてみると、写真が北側から撮影されていることが分かる。
 印刷は不鮮明だが、8個の柱穴と炉跡Bがしっかりと写っていることが分かる。

 写真の意図や方向が見えてくると、現地を歩いた経験から、写り込んでいる風景が見えてくる。
 今では太く立派な桃の木になっているが、写真に写る苗木はそれがまだ幼木だ。ここを桃畑にするために排水溝を掘ろうとしたことが、この遺跡の発掘につながったという状況が見えてくる。

 写真には、調査地点Cや調査地点A(炉跡A付近)も写り込んでいる。その奥には田が広がっている様子も分かる。この時点では、畑の南側の民家もなかったようだ。

 「上岡遺跡について」は、この成果の上に、膨大な遺物や土偶の発見されいてることもこの遺跡の特色として挙げている。
by shingen1948 | 2011-07-23 11:42 | ◎ 埋蔵文化(古墳・それ以前) | Comments(0)