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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン

再び上岡遺跡⑥~上岡縄文人と出会った感動を読み取る②

 昭和27年の上岡遺跡発掘調査は、二つの側面を持っているのが特色だと思っている。
 その一つは、地域の方々の英知の結集による調査ということだ。この事の短所は、体系づけられた学問としての調査ではないということだ。
 そのもう一つの特色が、それを補うべく、県の専門家による調査も重ねて実施しているということだ。これによって体系づけられた学問としての調査としての発掘調査にもなっているということだと思う。
 二つ目の特色によって、この発掘調査が学問的な調査としての地位を確保しているのだと思う。そういう意味では、こちらが重視されることなのだろう。
 しかし、散歩人としては、地域の方々の英知の結集による調査の方には、成文化はしにくいが、それだけでは割り切れない本当の長所があるのではないかと思うところがある。
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 そういう視点で調査経過を読んでみると、二つ目の特徴である学問的な調査としては、12月29日夕刻に終了していることが読み取れる。
 この日は、「梅宮氏以下目黒氏、秋山氏、鈴木氏、坪池氏、小原元七氏、同恒七氏、の他、信夫高等学校生徒6名、東湯野中学校生徒2名の全調査員が参加して、夕方まで最終の発掘作業を行った」とある。
 その夜には、調査員の他、村教育委員長の黒須氏と学校長である公民館主事の佐藤氏が小原氏宅に集まって、調査資料の整理、報告書の作成と遺跡遺物の整理保存について最終打ち合わせをしている。

 昨日整理した最後の後始末と「遺跡地の復元」作業は、その翌日の様子だ。
 ここに、第二の特色から解き放たれた地域の方々の英知の結集による調査のよさが、表出されるのではないかということだ。30日の報告書の経過記録を追う。
 12月30日(曇・晴)(朝寒し)
 本日は、秋山氏、鈴木氏、小原伊七氏、同幸七氏、同元七氏、同恒七氏が参加、殊に秋山氏には風邪の高熱をおかして本日の調査に参加されたので一同感激させられた。
作業は、炉跡(B)の断面図作成と遺跡の撮影をし午後より遺跡の復元を完了して本調査は終了を告げた。

 秋山氏は、県から本格的発掘調査のために梅宮氏とともに派遣された方のようだ。しかし、当時は信夫高等学校の教諭でもあるようだ。前日の発掘には、生徒6名も参加させている。県の依頼によって派遣された方ではあるが、どちらかというと主体的に地元に貢献する意図が強かったのではないかと感じる。
 鈴木氏は、村立東湯野中学校の教諭で、本格調査では遺跡の保存と当局との連絡調整、それに補助員の指導や記録写真の撮影などを任されたようだ。発掘作業に中学生も動員されているようなので、その指導も兼ねていたように思う。
 小原氏と坪池氏との間で本格調査の必要性があるかどうかの評価の話し合いにも参加しているようだ。秋山氏同様、地元への貢献ということもあろうが、自らの興味もあっての参加だったのではないかと想像される。
 小原氏は、この発掘の土地の地主であり、この発掘調査のきっかけになった方だ。このご子息も総出で後始末をされたということのようだ。

 もっと分かることはないかといった探究心の上に、昨日整理した発見とその実感があったということが、地域の方々の英知を結集したよさとしての位置付けの一つになるのではないかと思っている。
Commented by としぼー at 2011-07-22 07:16 x
秋山氏とは、やはり政一先生のことのようですね。西原廃寺のことなどをお聞きしたことがあります。西原廃寺の奥の山の姿が素晴らしくて・・経筒が埋められているはずだ、発掘したいとおっしゃっていたのを思い出しました。
Commented by shingen1948 at 2011-07-23 12:02
いろいろな方と交流がおありなんですね。羨ましい。
昭和27年の発掘で小原氏の相談相手坪池氏は、地図で確認すると、現在は高速道路を挟んでいますが、同じコミュニティー内だったような気がしますので、ご存知の可能性がありますね。

経筒は、愛宕山の裏で、経筒らしきものを発見なさっているようですが、そのことでしょうか。
Commented by としぼー at 2011-07-23 23:01 x
>愛宕山の裏で、経筒らしきものを発見なさっているようですが
違うと思います。秋山先生は、そのころすでにご高齢でした。それでも西原廃寺の奥の山の風景は、当時の方々の美意識といいますか信仰のありようから、神聖な山として写ったに相違ない。市でしょうか?行政のその筋にも働きかけているんだが、動いてくれないとおっしゃっておられました。それから発掘されたようには見えませんでした。数年前大往生されました。shingenさんは秋山先生とは旧知と思いながら記事を読ませていただいておりました。福島市歴史資料館にも先生の書かれた冊子がありますね。
Commented by shingen1948 at 2011-07-28 09:12
参加したイベントで、講師としての秋山先生をお見受けするということで、お話しをしたことはありません。
西原廃寺を含めて、霊山に匹敵する宗教的な文化の存在については、いろいろな仮説をみますが、奥の高寺とされる付近については曖昧なままですよね。最近では不動寺とのかかわりでしょうか。
散歩では、ようやく高寺とされる地点が確認できたという程度です。
「福島市史」の地区別の湯野・東湯野付近は、先生の記述のようですね。
by shingen1948 | 2011-07-22 05:49 | ◎ 埋蔵文化(古墳・それ以前) | Comments(4)