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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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再び上岡遺跡③~扇状地を意識する②~葛の松原

 西根上堰によって耕地となる以前の上岡地域の風景は、赤松の松原が想像される。その推定される風景は、以下のように紹介される。
 以上に述べた摺上川の段丘上に上岡地域の耕地が広げられているのであるが、むかし葛の松原と呼ばれる赤松の松原は、先に述べた80mを境とする山麓線と北原、平沢の峰をつらねる睦合山地から牛沢をつくって、飯坂断層線が三角明の前方につくった扇状地上にあったと考えられる。

 ここからは、二つの可能性が読み取れる。
 その一つは、葛の松原は、80mを境とする山麓線とする扇状地上にあったとの読み取りだ。
 もう一つ考えられるのは、北原と平沢の峰をつらねる睦合山地が牛沢をつくり、飯坂断層線が三角明の前方につくった扇状地にあったという読み取りだ。
 この場合、平沢の峰を睦合山地と呼ぶこと、北原とその睦合山地の間の沢が牛沢と呼ぶことを仮定することになるが、今のところ確認はできていない。それでも、「飯坂断層線が三角明の前方につくった扇状地」とある「三角明」は不明のままだ。これを「三角西」の誤記とみれば、「飯坂断層線が三角西の前方につくった扇状地」となる。
 先に毛勝断層を確認した飯坂断層線の北側付近に「葛の松原」が広がっていたということになる。
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 現在、葛の松原の案内標柱は、標高90mの河岸段丘付近を流れる西根上堰沿いに建っている。
 この案内標柱で案内される風景を想像しての散歩は、先に「もう一つの奥の細道」④として整理している。

 葛の松原が80mを境とする山麓線とする扇状地上にあったと読み取れば、西根上堰によって開墾される以前の上岡地域は、松林だったとの推測になる。
 扇状地の浸蝕された谷の部分から先に開墾され、残された峰の部分に松林が残ったり畑地が残ったりしているという推測になる。


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 伊達線から桑折線に抜ける道筋を確かめながら歩いてみると、全ての道筋が浸食谷沿いの残された峰の部分を走っているような気がしてくる。
 これは、毛勝断層に沿った道筋だ。耕地を左の低地にみながら歩き、峰の部分を走る道筋を確認する。
by shingen1948 | 2011-07-19 05:48 | ◎ 埋蔵文化(古墳・それ以前) | Comments(0)