地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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熊野神社③~湯野村共同体の一つ「四箇村」として②

 今回、摺上川河岸段丘を意識して散歩した。
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 その中で、前野・新古屋・四箇地区を四箇村地区の一つの共同体として括れるように感じたのだが、新古屋については、取り立てて整理していなかった。


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 散歩中に撮った写真を整理してみると、各家の庭先に洗い場のある風景が気になっている事が分かる。この写真は、特に新古屋という集落を意識したのではない。家の前を水路が走り、その水を使って洗いものをするという懐かしい風景にひかれている。


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 新古屋地区の直ぐ前が、摺上川の風景だ。
 鮎釣りののどかな風景であるはずなのに、放射能は大丈夫だろうかなどと余計な事を考えている自分がいる。近辺の鮎からセシウムが検出されたというニュースを目にしたからだ。
 近所に建てられた注意書きによれば、高速道路から上流は解禁になっているということのようだ。

 自分の感覚は、のどかさをのどかに感じられなくなっている。明らかに変だ。
 その変な感覚を、今は正常だと感じなければいけない状況でもある。そして、その異常な精神構造を確認することで、正常な感性を保とうとしている自分もいる。
 こんな感覚がずっと続いている。元の感覚に戻りたい。

 この震災をビジネスチャンスととらえて、入り込もうとする西方人がいる。
 復旧よりは復興と威勢のいい事をいうが、余計な御世話だ。
 他人が憐れむような貧しい生活で構わない。元々の平凡な日常の感覚を取り戻したいだけだ。これを機に、この地を都会人の考えるよさのある生活に変えるなどというのはやめてほしい。
 多分、大きな流れには負ける。遠吠えであることを充分知りながら、一言言ってみたかった。
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 熊野神社の四箇地区を過ぎると、平野先生の碑というのがある。
 そこから少し進むと気になる白壁の塀を廻した民家が気になる。その民家周辺が、板谷内村ということらしい。その北側に東湯野小学校があり、先の石碑はその初代の先生の碑らしい。

 ということは、この碑のむこうは、子供たちが「八幡山 法道院」に集まった集落群とは違った文化圏を形作る集落ということだろうと思う。
by shingen1948 | 2011-07-15 05:51 | ◎ 地域散策と心の故郷 | Comments(0)