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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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「八幡山 法道院」

 「ゆの村」によれば、八幡宮の道のむこうに、法道院という寺があったとのことだ。
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 明治の初め、湯野小学校が立つまでは、ここに寺小屋があって方丈様が読み書きを教えておられたという。
 この近くの「むら」という単位の子供たちが集まってきていたのだろう。以下の紹介からは、「湯野村」は、こういった「むら」の単位が3つ集合してできているように感じられる。

 不動寺が湯野の小学校になった時には、湯野町全体の生徒が不動寺に集まるようになるが、ここには、先に整理した太子堂の寺子も、ここ法道院の寺子も不動寺に集まったという。

 「ゆの村」には、この時のお師匠様の碑が、不動寺にあるとのことも紹介するが、そちらは確認していない。
 その碑は、正面に「正学院壽相現法尼」とあり、左側面に「法道院」とあり、明治29年3月13日没・俗名範恵 行年86歳が記されるという。
 これは、寺子達が建てたものとのことだ。碑文からは、法道院の最後の僧は尼僧だと推定されるらしい。
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 ここの風景は今でも変化し続けている。
 これは、昨年の湯野散歩の時の写真だ。今年の風景と比べてみると、また新しい風景になっている事が分かる。
 「ゆの村」では、「今では人家が新しく立って、境内は竹藪になってしまった」とある。今の風景は、その風景描写ともちがう。


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 その描写の雰囲気が伝わるのは、去年のこの風景だろうか。

 このお寺の和尚さんが、向かいの八幡宮や桐町の赤観音のお祭りの儀式を取り仕切っていたという。明治までは、神仏混淆で、寺の和尚さんが神社の世話をしたり、逆に神主が仏堂の世話をしたりするというのは普通であるという感覚が大切だ。

 先の湯野の散歩でも、この辺りを歩いている。そのままになっているのは、どう整理していいか分からないところがあったからだ。懐かしい思いを呼び覚ますよさを、どう表すかが難しかった。
 あえて表現すれば、地元の方が感性で捉えている原風景にふれるような感じといったところだろうか。
 その感じの背景に、「西原廃寺」「高寺堂跡」「茂庭索道」の散歩や、湯野に2~3年程住んだ経験、更には地域の方に御不動様の御開帳に連れて行かれた経験が重なる。
by shingen1948 | 2011-07-12 05:11 | ◎ 地域散策と心の故郷 | Comments(0)