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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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うずくまる土偶②

 昨年の秋にこのうずくまる土偶が福島に戻った時に、福島の縄文遺跡展があったのだが、福島の縄文遺跡全体の展示だった。
 最近は、福島の縄文遺跡としては「宮畑遺跡」・「和台遺跡」に注目が集まっている。それで、この土偶以外の「上岡遺跡」の出土品の展示も見かけることが無かった。 
 それが、この時には「上岡遺跡」として1ケース分展示されていた。

 この土偶が昭和27年出土ということにこだわってみる。
 まず、現地に建つ案内柱では、福島県指定重要文化財「雌性座像土偶」は、昭和27年に出土になっていた。
 マホロンの「上岡遺跡出土土偶(福島市)」によると県の指定重要文化財に指定されるのが、昭和36年3月22日ということのようだ。そこに、以下のように紹介される。
 昭和27年12月15日、地主の子息小原元七氏・恒七氏の兄弟が桃畑の排水溝を設置する際、地元郷土史研究者の坪池忠夫氏とともに遺物を採集した。

a0087378_52330100.jpg
 先にも記したように、この時の手書きの発掘状況図が「福島市史資料業書」に見える。
 この時代、上岡地区の行政区は福島市ではなく、東湯野村だったはず。しかも、摺上川から東は伊達郡だったと思う。
 県の資料では、飯坂上岡地区という言い方をするようなので、飯坂との合併の時期とかかわる可能性もありそうに思う。
 この時には、土偶の他に、深甕や器などの遺物と共に、2軒の住居跡が発掘されたらしい。
 昭和42年発行の「福島のあゆみ」では、福島の縄文時代の中心的な遺跡として紹介する中に、この竪穴住居跡の写真が使われている。
a0087378_5245975.jpg
 福島の縄文遺跡展の「上岡遺跡」説明図でも、昭和27年にこの土偶が出土されていた事を紹介する。
 ただ、本格的にこの上岡遺跡調査がなされるのが、昭和52年ということのようだ。展示の多くは、この時の出土品なのではないかと思われた。
 この図と、先の手書きの発掘状況図を見比べると、土偶出土位置は、昭和52年発掘位置より、道路一つ分北側の民家の西端なのではないかと思われる。 
by shingen1948 | 2011-07-03 05:31 | ◎ 埋蔵文化(古墳・それ以前) | Comments(0)