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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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祝 上岡遺跡「うずくまる土偶」国重要文化財指定

 「毎日新聞(2011.6.28.)」によると、「上岡遺跡」で出土した「うずくまる土偶」が、国重要文化財(美術工芸品考古資料)に指定されたとのこと
 桑折散歩の整理の途中だが、「上岡遺跡」にかかわる散歩を先に整理する。

 この土偶は、2009年9月10日から11月22日まで、「上岡遺跡出土『うずくまる土偶』」として大英博物館に展示され、その12月15日から翌年2010年2月21日まで東京国立博物館「東京国立博物館『国宝 土偶展』」でも展示されていた。
 この事については、先に「上岡遺跡土偶①」で整理した。その時に福島で目にしている「うずくまる土偶」は当然模造品の展示だった。

 これが、昨年秋に福島に戻り、それを記念した縄文土器の展示会があった。勿論、この時には本物の「うずくまる土偶」が展示されていた。
 その時に、英国で展示された時の説明文も展示されていた。以下は、その和訳部分。
a0087378_4501443.jpg うずくまる土偶
 福島県福島市上岡遺跡出土
 福島市教育委員会蔵
 高さ21.3㎝
 縄文時代中期に出産や子育て(育児)を思わせる(連想させる)姿の土偶が出土しました。東京都宮田遺跡から出土した土偶は有名です。縄文時代後期に属するこの土偶は、出産や子育てとは異なる姿で表現されていますが、この土偶からも幼児への愛情(慈しみ・育児への関心)をみてとることができます。
 深く腰を曲げ、立て膝で座る土偶です。右手を左肩の方に水平に伸ばし、左手はその右手を抱えるようにして、手先を左の頬に当てています。青森県風張遺跡から出土した両手のひらを合わせるような姿の土偶は、「祈りの姿(像)」(合掌土偶)と言われ、これと似たような姿の土偶は数多く出土しています。これら縄文時代後期の人々の祈りの姿はこのようであったろうと推定されます。
 この土偶が作られた縄文時代後期は、日本列島全域で気候が冷涼化していきました。北極と南極の氷床や氷河では、ますます海水が凍りつき、海水面は低下していきました。(海退現象が起こりました)。さらに気温の低下により、海産物や主要な食べ物、とりわけおいしいクリやクルミの収穫量は減少していったと考えられます。縄文人たちは、この環境の悪化に適応するため、さまざまな知恵を絞りました。その一つの試みとして、縄文社会における祭祀や共同体の儀式を複雑化することで、縄文人たちが信じていた(この世を支配する)超自然的な力(神々)に影響を与えようとしました。彼らは、さまざまな形の土偶をたくさん作りました。その中には動物の形をしたものまであります。粘土で作った耳飾りや装身具のような新しいタイプの遺物は、この時代の縄文人が祭祀や見せること(誇示すること)にさらに関心が強くなっていった事を示唆しています。
 上岡遺跡から出土したこのうずくまる土偶と同時代に作られた土偶にはいくつかの類似点があります。たとえば、細い粘土で表現された両目、鼻と口、またかがんだ腰の部分に施された鋸歯状の波線と縄文による幾何学文などです。それは、悪化していく自然環境をを積極的に解決する方法として縄文人たちが探し求めた表現なのです。


 この土偶自体は地元でも有名だが、その出土は昭和27年だ。
 現在の福島市という単位の発掘調査ではなく、当時の小さな行政区の東湯野村の教育委員会の責任で実施されたもののようだ。県教委の指導があったらしいが、主体は地元の研究者の地道な活動と、地主の方の認識が、土偶の発見という成果に結びついたということらしい。
 まずは、埋蔵文化財の保護を土地改良より優先させた当時の地主の方と地元郷土史研究者の3人の方に祝意を表したい。

 ※ 新聞報道では、市教委が、この土偶は52年12月の発掘調査で出土したと説明されたとのことだが、現地に建つ案内柱では、福島県指定重要文化財「雌性座像土偶」は、昭和27年出土になっていたはず。新聞報道を、「昭和27年出土」と読み替える。
 また、結果的には、「集落遺跡「上岡遺跡」で出土した土偶」ではあるが、発見当時は住居跡は2軒で、そのうちの一軒から出土しているはず。集落遺跡とされるのが、昭和52年の発掘調査なのだと思う。
by shingen1948 | 2011-07-02 05:07 | ◎ 埋蔵文化(古墳・それ以前) | Comments(0)