揺すり出された風景②~今からおもえば54
2011年 05月 23日

震災後、飯坂街道を通るとがたんと一段下がる所があった。この区間、線路側の歩道よりも車道が2~3㎝位段下がっている。線路を挟んだ向こうの民家の塀も崩れた。

その一段下がった交差点から新興住宅の団地に入ってみると、直ぐにこんな景色になる。
これが、あの時に聞いた所だということで、会話と実際の場所が結びついたが、実際に目にすると、想像していたよりもかなり大きな破壊だった。

昨日整理した箇所は、一つの浄化槽が浮き上がっただけだった。
それに比べると、こちらはマンホールと云う事での違いはあるが、その範囲がかなり広い。このマンホールが浮いた風景がずっと続いている。

その時に感じた感覚と同じものはあるのだが、現実の景色がこれでもかと続くと、納得せざるを得ないという感覚がそれを上回る。
この場所、もう一つ気になっているのが、震災前に清水公民館前にあつた地域案内地図にあった湧水の道筋を想像して散歩したことと重なるような気がするのだ。
地域案内地図にプロットされた位置と地形とのかかわりで、この辺りではないかと想像したのは、診療所の前あたりだ。勝手な想像なのだが、そことのつながりのようなものを感じたので、手元にある明治時代辺りの地図でこの辺りの様子を確認してみた。しかし、今のところ全体的に田圃であったらしいということしか分からない。

※本日から確認する場所の放射線量の状態は、福島県がネットで公表する放射線量を可視化した地図によるとおおよそこんな感じらしい。