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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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古き時代の底力②~今からおもえば46~感謝を込めて③

 会津に住んでいた頃は、磐越西線は日常的に使っていた路線だ。
 当時、小学校の修学旅行先は新潟だった。記憶が定かでないが、多分、パスではなくこの磐越西線に乗って行ったのだと思う。初めての新潟行きで、この時に初めて海を見た。大きなデパートの印象もある。
 福島に来てからも、帰省には福島-会津若松間の準急を使った。
 この列車は、福島から郡山駅までは東北本線を走る。郡山駅で磐越西線と磐越東線に切り離される。その半分が喜多方まで向かった。磐越西線側が電化されていない区間があって、ジーゼル車だったと思う。
 新幹線の時代になって、この列車は廃止になった。
a0087378_5172256.jpg
 会津には毎年出かけるが、磐越西線を意識して撮った写真はない。地味な存在で意識していなかったことが分かる。
 ここに張り付けた写真は、雪の磐梯山を意識した写真だ。この冬、会津に出かけた日が初雪の日だったが、そのために撮ったもの。磐越西線の線路が、その前に偶然写っている。

 今回、磐越西線について確認していたら、この路線にも華やかな時代があったことが分かった。それを、メモしておく。
 岩越線は1914年(大正3年)に郡山駅― 新津駅間が全通し、1917年(大正6年)に平郡線が全通して磐越東線と改称されたのに合わせて、磐越西線と改称さる。
 1931年(昭和6年)に上越線が全通するまでは、この磐越西線は、高崎線-信越本線と並んで、東京から新潟へ向かう主要なルートだったとのことだ。
 しかも、東京から東北本線を経由して、磐越西線入る東京―新潟間ルートには1930年(昭和5年)10月のダイヤ改正時には、11時間58分で走破する夜行普通列車が走っていたという。
 当時、上野から信越本線経由新潟の最速夜行急行列車は11時間6分で、夜行普通列車は13時間56分を要したとのことだ。
 これが、この線の最も華やかな時代だったのかな。

 「ばんえつ物語」号運行の新潟-会津間の磐越西線は、1906年(明治39年)の岩越鉄道が買収・国有化され、官設鉄道の岩越線になってからの開通らしい。
 喜多方から西は官設線として延長され、新津側からも信越線(信越本線)の支線として順次延長されたものとのことだ。
 上越線全通以降、東京新潟間も、会津地方と福島県中通り、さらには首都圏を結ぶ重要路線だ。そのため1967年(昭和42年)には郡山駅―喜多方駅間が交流電化されたという経緯のようだ。
 自分が利用していた時代は、この電化が進む時代あたりらしい。

 この磐越西線も含め、平静な日常では地味で目立たないものが、今回の震災復旧には心強い力になったものがその存在感を示した。
 最近、復興に関して未来型志向とかという勇ましい掛け声を聞くが、どこかうわついているように感じる。大それた未来も華やかさもいらない。時代遅れでも一向に支障はない。地味な日常生活が送れる幸せの復旧で充分だと思う。
by shingen1948 | 2011-05-15 05:24 | ☆ 地域・自治話題 | Comments(0)