今からおもえば37
2011年 05月 06日
しかし、今回水道がストップし、給水のため数日間並んでみて考えると、このような緊急時に心強く感じたのは、井戸水の給水協力であり、簡易水道の自由給水協力だったのではないかと思えてくる。多様な水源が存在していたことが、今回の危機を乗り切る一つの手段になっていといえないだろうか。
もう止めることはできないのだが、広域水道という巨大化の方向性の危うさを感じさせられたということだと思う。平穏な日々の中では、簡易水道や井戸水の利用者はその経済性から後ろ向きにとらえられがちだ。簡易水道やポンプ場の廃止などは、その延長線上にあるのだと思う。
これらは、散策の中で時々出会っているが、今まで気にとめることは少なかった。
これは、耳取川の水源について考えながら水路をたどりっている散歩中に出あった。
谷地簡易水道給水地跡の記念碑で、以下がその碑文だ。
記念碑
昭和37年2月4日、佐藤幸七氏宅の深井戸を水源として谷地簡易水道組合を設立、43年間に亘り130有戸に命の水として給水してまいりましたが、広域水道という時代の要請により当組合は福島市上水道に統合する事となり水源として、その使命を閉じる事となりました。
此の地に記念碑を建立し感謝の念を表します。
平成17年5月1日
谷地簡易水道組合
組合長 佐藤○○
石碑には、平成17年5月1日付の谷地簡易組合の廃止の碑文とともに、谷地簡易水道組合の設立のための掘削作業らしき絵が刻まれている。
下野寺水源ポンプ所と共に近くの清水ポンプ場が廃止されるのは、平成18年頃らしいことが想像される。福島市水道局の水質検査結果のお知らせのページからの推測だ。
そのページに直接その名は記されないが、その川向かいの笹谷ポンプ場の廃止もこの頃なのだろうと思われる。
先に整理したように、大笹生簡易組合の廃止は平成15年頃だろうか。
今回は、危機管理の観点から、こういった広域水道という時代の要請と簡易水道や井戸水の利用をどう共存させるかということが問われたのではないかと思うのだが、考えすぎだろうか。