今からおもえば33
2011年 05月 02日
3.11震災の直前は、この辺の豊かな水源地帯について整理していた。
この震災で水道施設が破壊されると、その豊かな水源を保有するその地区の住民も給水車に飲料水を求めて並ぶという状況だった。それでも、その復旧する過程では豊かな水源地帯であることの恩恵を受けている。
震災直後、水道は「復旧の見通しなし」の情報から始まる。その時に感じたことと比べれば、実際の復旧は速かったと感じた。豊かな水源地帯であることの恩恵は、そのことにかかわっている。それが整理したい「今からおもえば」ということだ。
他の基本的なライフラインの復旧を「市政だより復旧板」を資料に確認する。
12日の「市政だより復旧版」によれば、電気は福島営業所管内停電14万7千戸であったものが、約12万戸に回復している。
ガスの状態は、蓬莱地区で供給停止だった2726件中81件が復旧したとのことだった。
そんな中で、水道は市内全域で完全に断水し、なかなか復旧の見通しが立たない状態が続いた。そして、実際の復旧にも長い時間がかかった。
見通しのたたない状態は13日も続いていて、復旧の兆しがみえるようになったのが、14日になってからだ。この日に、大原医療センター、北信支所まで復旧し、更にこの日のうちに市内北部の一部の約2万世帯が復旧する予定との情報が流れた。
14日の「市政だより復旧版」には、この辺りから簡易水道組合協力による自由給水が載っている。更に15日からは、福島市水保農村婦人の家で水が汲めるとのお知らせがある。
15日の「市政だより復旧版」には、この日までに福島赤十字病院まで復旧し、更に北幹線道路などに沿って福島赤十字病院まで本管が復旧したことが知らされている。ただ、本管からの枝管からは一部給水の状態だった。この時の通水試験地区は、由添の一部、南中央の一部、八島田の一部、吉倉の一部、太平寺の一部とのことだ。
16日の「市政だより復旧版」によると、約35%・約3万9千戸が復旧する。この日北矢野目(中央卸売市場周辺)、南矢野目(国道13号から東など) 、鎌田(向鎌田を除く)、宮代(東福島駅周辺など)、下飯坂(東北自動車道から東など) 、沖高(一部)、瀬上町(向瀬上を除く)、丸子(一部)、本内(阿武隈川から西)、南沢又(松川から北・飯坂街道から西)、北沢又(飯坂街道から西)、笹谷(飯坂街道から西・東北自動車道から東) 、泉(一部)が復旧する。
このあたりから、井戸水提供者とその御宅に張り紙があるとの広報が見える。
その後も、市内の水道復旧は進むが、自分が給水所に水を頂く仕事の役目を終えたのはこの頃だった。
その間に加速度的に復旧が速むと実感している。その実感は、実際の水道の復旧そのものを感じているわけではなかったと思うのだ。復旧と共に、公園や支所などでの自由給水場などが増えていったことも大きかった。その事によって給水を受けるため混雑が緩和され、最終日には、並ぶことなく直ぐに給水を受けられるようになった。その労力が軽減されたことが心強かったように思う。
その事とこの豊かな水源地帯であることの恩恵があったことを整理しておきたかった。