地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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今からおもえば⑫東京発信福島情報⑥

 情報網が整っている時代、東京からの発信は問題ないはずなのに、違和感を感じる自分がいる。何に引っかかっているのかを考えてみた。
 現時点では、事態の深刻さとそれに伴って感じる原子力行政の砂城に築かれた繁栄の危うさへの実感の違いにかかわっていると思えてきている。

 福島情報を伝える官房長官も首相も背広姿に変わった。
 政治を司る方は、我々一般人よりも場にあった服装に心配りをするはず。恐らく、東京は既にそこまで日常が戻っているのだと思う。
 各報道は、7日の記者会見で、背広姿の官房長官が、現在の避難基準が「短い時間に大量の放射性物質が出るような事故を想定して設けられた」とした上で、「累積の数値が高くなっている地域をどうするか、検討してもらっている」と述べたと報じていた。

 福島の地元テレビ報道に登場する市政だよりの市長さんも、県の広報関係者も県知事さんも、まだ災害時の服装のままだ。
 ここに象徴的な温度差を読み取ることができそうに思う。

 その東京から福島情報は発信された続けてきた。
 ○○しても△△マイクロシーベルトにしかならない程度のもので、一般人の年間限度1ミリシーベルトより小さいので直ちに健康被害はない等々……。

 この情報の受け手である福島では、大したことのない1ケタのマイクロシーベルトの空気からの汚染を受け、これを吸い込んだり身体に着けたりしている。そして、20ベクレル程度の大したことのない汚染の水を飲み続けてきている。その上、大したことのない汚染の野菜を食べても安全だと宣言を受け、この魚を食べ続けてもヨウ素はたった○○ミリシーベルトにしかならないとも。

 発信する東京では、本当に大したことのない積み重ねなのだろう。福島の専門家もその通りだと賛同する。
 情報の受け手である福島の専門家以外の一般人も、最初はそんなものかと思っていたと思う。
 しかし、専門家になだめられても、そろそろこれらの積算に気をつけるべき段階に来ているかもしれないという実感を持ちつつあるように思う。そんな中で聞くものだから、報道される累積の数値という言葉には実感を持つ。

 そこに、海に汚染水を放出しても魚などへの汚染は気にすべきではないという東京発信福島情報を聞かされる。専門家も、これがいい方法だと評価するらしい。
 批判的な情報でも、国際的な評判を気にする批判でしかなく、そこに住む者への配慮不足への批判はない。
 従順な福島の一般人も、そろそろ「大したことのない汚染」という東京発信情報に不信感を持ち、専門家にさえ不信感を持ちつつあることを、正直に発信すべき時期なのではないかと勝手に思う。

 自分は、一致団結・総力結集の軽い言葉の街から発信される福島情報にうんざりしているだけでなく、反感さえ持っている。
by shingen1948 | 2011-04-10 05:08 | ☆ 地域・自治話題 | Comments(0)