今からおもえば⑪東京発信福島情報⑤
2011年 04月 09日
「毎日新聞」「検証大震災」では、緊急事態が起き、各組織がそれに対処する様子を時空列にまとめて整理してみせる。それと、この図を見比べてみる。
素人目にも違うと分かることの一つが、情報の発信のスタート地点だ。
図では、大熊町に設置されるオフサイトセンターが福島原子力災害対策センターとなり、ここで調整された情報が発信されるように見える。しかし、実際には東京発信福島情報ということになっている。小題を「東京発信福島情報」とした時点では気付かなかったが、結果的にはそれを皮肉っているようになってしまっているようだ。
見えにくいが、もう一つの違いが主体者にあるようだ。
例えば、図では、住民の避難や屋内退避等の指示は、関係町長となっている。しかし、実際の場面では、これが主体性を意味しないようなのだ。この指示が発せられた報道のコメントを確かめると、主体的に発せざるを得なかった組織は、「判断に誤りはなかったと思う」と付け加えている。
「検証大震災」の時空列にまとめられた記事で確かめると、緊急で国の判断の前に各組織が独自の判断をせざるを得ない状況だったこととかかわるようなのだ。
つまり、住民の避難や屋内退避等の指示は関係町長なのだが、それを発するのは指示を得てという条件付きが本来の姿であることを浮き上がらせる。
この図は、どこかに正しい判断をするものがあって、それを受けて動くことになっている。しかし、実際に事が起きれば、住民も含め、描かれた一つ一つに主体性が存在しなければならないのだが、それが隠れているようなのだ。
「検証大震災」の時空列にまとめられた記事から、この場面を確認する。
午後8時50分県知事半径2㎞圏内住民に避難を要請する。これは、午後9時23分に首相が半径3㎞圏内住民に避難を(3~10㎞圏内屋内退避)指示する前だ。
住民にとっては、午後8時50分に半径2㎞圏内避難とされ、その1時間後には半径3㎞圏内指示というのは混乱を招いたとは思う。しかし、その前後の時空列に整理されたものを眺めてみると、この県の指示の主体性こそ大切であり、住民を思いやる人間味を感じなければならないことだったように思える。
水道電気という自分のライフラインに気をとられ、即時性のあるテレビ報道を見ることが出来なかった間に起きていた事柄を意識しなおす。