今からおもえば④一般的な科学情報と専門家の科学情報
2011年 03月 30日
地震のあった次の日の朝、給水所では地方紙の号外が配られた。その号外を開いてみると、そこには地震そのものの被害とともに、津波と原発の被害についても報じられていた。その中から、自分は地震そのものの被害を選択して認知していたことが分かる。それなのに、すでに「貞観地震」についてふれているのを見逃したことが気になった。
今回の地震が広域に渡って連動して地震が起こったらしいことは、どこからか情報を得ている。
記事では、専門家は「ここまで広い範囲で連動して起きるとは想定していなかった」と、研究や対策の対象としていなかったと話したとある。
記事は、理科年表を資料に、「貞観地震」について次のようにふれる。
理科年表によると、貞観地震は三陸沖を震源とするМ8.3の巨大地震。城郭などが無数に壊れ、津波が多賀城下を襲い、約千人が溺死した。広範囲に津波が達したと考えられている。
恐らく、科学好きの記者が見つけた情報なのだろう。
その記事は、権威者の次のようなコメントを貰っているという裏付けで結ぶ。
〇 今回の震源域は、貞観地震の発生場所に近いこと、
〇 今回の地震が研究の空白域であること、
〇 今回の地震がこの貞観地震と似ているかもしれないということ
次の13日の「毎日新聞」の有識者の座談会記事になると、この地震は「想定外の断層破壊」ということになる。
「(これだけ広範囲の断層破壊は)歴史的には起きてはおらず、まったく想定を超える事態だ。何故想定を超える事態に断層破壊が広がったのか、調べなければならない。」という事になるようだ。
有識者の立場からは、貞観地震なる曖昧な事は、歴史的に起きていないということになるらしいのだ。恐らく、明確に科学的に起きたと証明されていない事柄との認知なのだろうと推定する。
ここで、歴史的な津波として登場する具体例は、1896年明治三陸沖地震の30mと、震源地が近い例として1793年、1897年М8程度の地震と津波ということのようだった。
専門家の科学常識では、「貞観地震」は明確に想定すべきものではない出来事としていることが伺える。
単なる散歩人にとっては、専門家の想定外の話より、恐らくごく普通の科学知識程度で書かれたのであろう号外記事の「貞観地震」の話に、説得力を感じてしまう。