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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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板橋のイメージを求めて④~旧八木田板橋

 今の八木田橋が架け替えられたのは、昭和63年(1987)とのことだ。この橋の旧橋の風景に接していてもおかしくはないはずなのだが、記憶にない。こちらまで来ることが少なかったのかもしれない。
 その旧橋が架かるのは、昭和5年とのことだ。
 板橋が架かるのはそれ以前だろうから、板橋を渡って「土人島」と称された水遊び場に通ったというのは、明治大正時代の話ということなのだろうということになる。

 荒川は「あばれ川」というイメージがあって、何となく洪水とか増水などという変化にかかわる話に納得してしまうところがある。
 板橋の説明でも、「洪水時に流され、わざわざ伏黒付近まで取り戻しに行ったこともあった」との話が紹介される。
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 しかし、この中州のある風景は、安定的に存在していたのではないかと思われる。
 明治24年に描かれる地図を見ても、ここには中州が存在する。それ以降の地図にも、ここの中州は描かれ続けられている。
 その視点から地元の方に伺うと、戦後の混乱期に、橋の下や中州に住む方がいらっしゃったのは、ここだったかもしれないという話が聞けた。
 荒川が、多少あばれても、この中州は安定して中州で在り続けたのではないかと思う。
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 半沢氏の地図によれば、橋の脇には伝染病隔離病舎跡があったらしい。それに並んで、その脇に1989年に鳥渡観音に移転したという須川稲荷が記される。更にその脇に、出雲路の神、道祖神があったとする。
安達地区でいう「しびょういん」のある風景だろうか。

 子供たちにとっては、こちら岸側も含めたこの「土人島」である中州のある風景は、秘密めいた場所であり続けたのだろうと想像する。
by shingen1948 | 2011-03-07 05:15 | ◎ 地域散策と心の故郷 | Comments(0)