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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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板橋のイメージを求めて~旧八木田板橋

 双体道祖神を求めて八木田神明神社にやってきたことについては、先に「双体道祖神 ③」として整理したが、景色を眺めていて旧八木田板橋の情報を思い出した。
a0087378_4511249.jpg
 写真を撮っているうちに、この風景はどこかで見たような気がしたのだ。

 この時には漠然としていたのだが、家に戻って確かめると、それは1998.9月発行の「あらかわ散歩道」だった。

 そこにこの写真があり、次のように解説されていた。
a0087378_4531664.jpg 昭和初期までは、河原の中の水流のところにだけ長い一枚板の橋を架けて渡った。洪水時に流され、わざわざ伏黒付近まで取り戻しに行ったこともあった。この八木田旧橋地点の上には「土人島」と称された水遊び場あった。

 思い出したのには、もうひとつの訳がある。
 岩代清水の泉と池をめぐりの散策中に道標を見つけ、その道筋を想像してみたことについては、「岩代清水の泉と池をめぐる⑮」で整理した。その時に、笹谷城主さんから、笹谷庭坂間の旧道にかかわって、「高速ができる前までは『いつ流されても一向にかまわない』くらい簡素な丸木橋があった」という情報をいただいた。
 自分には、これだけ大きな川に、水流のところにだけに一枚板や丸木橋が架けてあるところを渡るという経験はない。意識していたわけではないが、どこかで実感を伴う風景にしたいという思いがあったのだろうと思う。

 それで、もう一度八木田神明神社に来て確かめてみたが、板橋らしきものはなかなかみつからなかった。
 うろうろしていたら、地元の方に声をかけられた。資料をお見せして事情を話したら、その方が調べてくださったって、後で電話を頂いた。
 この板橋は、荒川資料室に移動されたとのことだった。
Commented by いやいや、勘次郎館のおやじっす at 2011-03-04 14:39 x
昔の日本は、橋を掛けない文化だったんですよね。
渡し船、徒歩でじゃぶじゃぶ。。

おらたちの様な車両文化の人間には想像が難しいかもです。

米沢街道も、山中の蟹が沢では徒歩でジャブジャブ越えていったはずです。
現代の人間が、自動車でそこまで探検に行って、、
「あら、道が消えた??」
となるのは普通の感覚かもですよ。
Commented by shingen1948 at 2011-03-05 05:56
確かに、昔の人の足跡をたどってみるとたくましい感じはしますね。日程と見比べると、ついていけない速さでどこまでも歩いていますしね。
by shingen1948 | 2011-03-04 05:07 | ◎ 地域散策と心の故郷 | Comments(2)