地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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岩代清水の泉と池をめぐる⑱

 松川の堤防筋は散歩道になっている。
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 その散歩道から眺めると、残された荒れ地という雰囲気しか感じない。恐らく地域の方にとっては何の変哲もない風景なのだろうと思う。
 そのまま見過ごす風景だ。

 それが、この向こうが、民地とのかかわりで近づけなかった堤防というふうに意識すると、別物に見えてくる。近づけなかった堤防の内側からの眺めということになる。(「岩代清水の泉と池をめぐる⑫」)
 新しい堤防からは簡単に近づけた。
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 改めて家の間から見えた様子を捉えてみる。
 古い堤防筋が、新しい堤防によって切り取られた風景とみるが、どうだろうか。

 松林も堤防筋の一つと考えて松川筋を眺めると、刑務所辺りは、新堤防よりも内側にその痕跡を残す。その痕跡はポンプ場まで続いて、その続きの堤防らしきものは、新堤防の内側にも残るが、この外側の堤防筋につなげて、松川筋の大きな蛇行を想像することもできる。
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 松川では、今年も床固めの大規模な工事が行われたようだ。水との戦いは、今でも続いている。その戦いの経緯の中で、切り取られた堤防ではないかと思うが、いつの時代のものかは分からない。
 ただ、現在のこの風景では、その実感は遠のいているが、その時代は、まだ暴れる水から地域を守る実感が伴っていた時代なのではないかと想像する。

 水との戦いについて、目にした記録では、「南沢又の今昔」の明治30年に松川の堤防を造ったとの記述が一番古い。この時から延々とその戦いが続いていることを思う。その戦いは、徐々に行政の手に委ねられ、専門化して大規模に効率を挙げていくことになる。逆に、実感という点では、戦いの意識が薄らいでいく過程ともいえる。

 水との戦いのもう一つの資料は洪水筋だが、荒川に比べて目にする資料は少ない。
 目にすることができたのは、半沢氏のフィールドワーク地図。
 この地図と現地を対応するには、氏がいう寛永13年以前の松川流域をイメージする必要があるが、これが標高90mラインの乱れにつながる線らしいと想像する。
 この地図では、そこから下流に、次の二つの右岸の洪水筋を記している。
 〇 明治43年と大正3年の洪水筋
 〇 そのやや上流の昭和13年の洪水筋。
 今のところ、この二つの洪水筋の位置を知る手掛かりはない。

 なお、半沢氏のフィールドワークでは、寛永13年以前の松川流域の上流にも、笹木野駅に抜ける松川洪水跡という洪水筋を記す。その松川筋との交点近くに、天保13年松川洪水、用水路再普請松川街道堰改修碑を記録するので、こちらは見当がつく可能性がある。
by shingen1948 | 2011-02-18 05:36 | ◎ 水 | Comments(0)