岩代清水の泉と池をめぐる⑰
2011年 02月 17日
この川筋を追っては、清水村や泉村を水から守った松林や堤防を確認するという散策を繰り返す中で、追っている川筋が半沢氏のいうこのラインに重なっているらしいことに気付いたのだ。
そんな堤防の確認で出会ったのが、「百万遍供養塔」だ。こちらを先に脇道の③として整理してしまう。
この「百万遍供養塔」が立つ道筋は、何度か通っていたし、ここに石塔があることにも気づいてはいた。ただ気に留めていなかっただけだ。
今回、気になったのが「百万遍」という言い方だった。半沢氏のフィールドワークに、この石塔群とかかわる次のようなメモを見つけた。
「サイデ地蔵文化13年(1816)・百万遍供養塔文化11年(1814)・ニ十三夜供養塔安永6年(1777)」
ただ、左端の石塔も脇に「千座百万遍供養塔」とあり、二つの石塔とも百万遍供養塔だと思うのだが、どうだろうか。そして、左端がサイデ地蔵ということだろうか。
「百万遍供養塔」を確認すると、念仏塔とのことだ。
集落の人々の念仏講で、「なむあみだぶつ」の唱えが、百万回に達したのを記念して建てられるものらしい。数日間にわたる法会・説法などの終わる最後の日に、満願達成を記念して、道しるべとなるように建てられるとある。
具体的に念仏講の様子を紹介するものも見る。
鉦を打ち鳴らし,阿弥陀の六字名号を唱える。これは月待ち講も同じだが、念仏講は、数珠まわしをするのがその特徴で,念仏踊りなどが行われることもあるという。
講は,講中の輪番制で,当家(当番の家)で共食して念仏踊りや唄を唄い親交を深める娯楽の意味もあり、数珠まわしは、病苦・貧苦の救済を祈願し,祖霊の成仏を祈るとも。
昔、この御近所で、月待ち講と共に「数珠まわし」の講があったということだ。
この「数珠まわし」の言葉で思い出すのは、若い時代の茂庭地区。
友人に見せられた民俗調査報告書では、この地区の念仏講は消えているということになっていた。しかし、当時は「数珠回し」がまだ存在していた。
多分、調査なさる方が、専門家らしく念仏講という言葉でアンケートしたため、「数珠回し」の回答が得られなかったのだろうと想像した。
この調査報告では、「寄り合い」も消えていたが、実際には「もより」が存在していた。多分、これは「最寄り」ではないかと思う。
今もまだ存在するのだろうか。
双体道祖神については、自分の意識の薄さかなと思っていたら、そうではないらしいことが分かりました。ここでは見かけないという特色の地域ということのようでした。