岩代清水の泉と池をめぐる~福島の水道とかかわって⑫
2011年 02月 12日
この記述が気になったのは、一応「清水水源ポンプ所」からの排水路を確かめたのだが、何となく以前にあった痕跡の中に、新たな水路を作っていると思えたからだ。
ここが、清水水源ポンプ所からの排水路の出口だろうか。
この道筋をたどると、民家の間をぬってやがて道筋に出てくるのだが、
その道筋を追っていると、がっしりとした石積みの施設が気になる。時代がかってはいるが、がっしりとしたつくりだ。
この石積みと似たつくりの堤防が、新しい堤防と道路沿いに並ぶ民家の間に走っている。今のところ、民家の後方でうまく写真にはおさめられないでいる。
それが、ここでいう堤防工事とかかわりありそうな気がしてきたのだが、何の根拠もない。
ただ、意識をそちらに向けると、村では、堤防を造る前に洪水を防ぐ手段として松林にしたという記述と、更地になった後の松林が残る風景が気になりだす。
先に「清水水源ポンプ所」の痕跡としては、門柱と記念碑としたが、これは限定的な見方だ。この地区の水との戦いというくくりまで広げると、少なくともこの松林も堤防も水防遺跡の一つということになりそうだ。
なお、「南沢又の今昔」に、福島市長と南沢又村の間で交わされた賃貸契約書の文書が紹介されているのもみつけた。この時代も「南沢又村」という「むら」と、「清水村」という「村」という概念が混然としていたということのようだ。これらの文書は、既に他所に寄贈されたと聞く。
「清水水源ポンプ所」の更地の風景は、この村の最高機関として寄り合いと行政機関の最末端の組織としての「むら」が混然とした時代の終焉と重なる清水水源ポンプ所終焉が平成23年ということになる。ただ、平成17年の水質調査に記載される清水水系の深井戸がこのポンプ場を指すものとすれば、ここは、実質的には平成19年には終焉しているということになるらしい。