岩代清水の泉と池をめぐる~福島の水道とかかわって⑫
2011年 02月 11日
清水水源ポンプ所が、更地になった事が分かったので、先の散歩で撮りためていた写真をもとに、ありし日の「清水水源ポンプ所」を整理しておく。
消えることが分かっていれば、もっと正面から捉えておくべきだったなぁと思う。
散歩で見た風景と航空写真と見比べて、建物と門、それに水路や記念碑の位置関係を想像して加える。門前に見えた建物が送水のためのポンプ室だろうか。
この「清水水源ポンプ所」は、昭和25年(1950)に拡張工事が始まり、昭和28年(1953)に完成する。昭和29年(1954)には、この完成を祝って記念碑が立つ。その記念碑は、門前の建物の南東角近くだったと思う。
これは、配水池なのか、水源から湧き出た水の貯水池の水槽なのかは分からないが、位置的には、門の左側にあった建造物だ。
これも、水槽の施設の一部なのではなすかと思う。
その後の拡張工事における、水源地確保の経緯も確認しておく。
昭和33年第4次、第5次拡張事業で宮代水源ポンプ所の新設。
(主水源である阿武隈川は、年々水質悪化)
昭和45年より第6次拡張事業で、笹谷水源を新設。
(異臭味対策で粒状活性炭ろ過設備の設置)
昭和57年下野寺水源ポンプ所を新設。
そして、平成23年に、ここが更地になる。これは、清水水源ポンプ所が水道の役割から退くことを意味する。そのことは、豊かな水を誇るこの地区も、飲料水としては、他所からの水に頼るようになるということでもある。
地図と更地の範囲を確認すると、旧公園と「清水水源ポンプ所」だったところだ。川沿いの公園になるのだろう。
この松林はどうなるのだろうと思ったのは、この写真に写り込んでいる松林は、水との戦いの遺跡でもあるらしいことが最近分かったからだ。