人気ブログランキング |

地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
カレンダー
S M T W T F S
1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30

岩代清水の泉と池をめぐる~福島の水道とかかわって⑫

a0087378_4243461.jpg
 清水水源ポンプ所の運転とかかわって、マイナスの影響を受けるのが、「清水水源ポンプ所」南側にある大窪水源池のようだ。この地で、ここに豊かな水をたたえていた痕跡を残すのは、水神様と雷神様だけだ。その脇に案内の標柱が建ち、次のように説明する。


 大坪水源池跡
 この辺り一帯(約30坪)は、大昔より大量の清水が湧きだし、誰言うことはなしに「大坪」と呼んで、この水を農耕に利用してきた。土地の人は水神様や雷神様を祀り水源を大切にしてきたが、市水道 清水水源地の揚水がはじまってから水源が涸れていった。
 ここも「大清水」のような風景だったのだろうか。

 中心となる福島という視点からの水道の歴史は記録に残る。しかし、その水を供給していた側からの飲料水事情は捉えにくい。
 この清水地区の飲料水事情を想像するポイントは、次の年代だろうか。
 ○ 「清水水源ポンプ所」ができる昭和25年(1950)から昭和28年(1953)にかけて、
 この頃、水道管の敷設工事も行われているはず。地元の方への給水口も設けられたはずだと思う。この時点で、ここから給水を受けるという事になった家もあったのではないだろうか。
 大坪水源池の破壊のように各戸の水源にも影響を与えたとも考えられるが、どうだろう。
 ○ 昭和48年夏、異常気象で、井戸水枯渇で、飲料水に事欠く地域が発生して、給水区域を拡大実施するという福島側から見た記録。
 この辺りでの井戸水から水道への切り替えの可能性も。
 ○ 昭和52年第7次拡張事業として、飯坂・信夫・庭坂上水道と荒井・笹木野・松川広域・土湯・高湯簡易水道事業の統廃合との記録。
 これらの簡易水道事業とのかかわりは?。

 この辺りで福島の水道管からの給水になる可能性が高いと勝手に思っているが、どうだろうか。
 それが、「ふくしまの歴史」にいう、「現在は近郊の水源として供給している」ということへとつながっていく。
 そして、そこが更地になった風景にであったということだ。
 
 ここでこだわってみたのは、同じ水道の蛇口ではあるが、その水は地元産の水ではなくなったということではないかと思ったから。
 この辺りも、水道事情の変化は、近代化による便利な生活の追及過程だったと思う。しかし、豊かな水の里であるこの地域にとっては、気づかぬうちにその水の実感が遠のき、切り離されていくという過程にもなっていたということではないかと思ったのだ。
by shingen1948 | 2011-02-10 05:29 | ◎ 水 | Comments(0)