地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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岩代清水の泉と池をめぐる~福島の水道とかかわって⑩

 福島市の水道のその後は、水源を阿武隈川に求める浄水場の話へとつながる。渡利村の浄水場は、大正10年(1921)に認可され、大正11年に着工し、大正14年に完成する。
 このことと直接的にかかわる散歩は、「渡利地区の阿武隈川沿いの風景②」だが、間接的には松齢橋や弁天山の風景にも、この水道の歴史と重なるところがある。
 その渡利の浄水場が、福島市の水道の中心になった時代も、ここに残る水道遺跡である「柳清水」も「監獄署水源」も新たな「福島町水道水源」も現役で働いていたのではないかと想像する。それがいつまでなのかは、今のところ分からない。
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 この地区の豊かな水が再び注目されるのは、昭和25年(1950)だ。
 水道局のホームページでは、給水量の増大の理由を、復員や連合軍の進駐に伴なう給水量の増大とする。
 昭和22年、第1次拡張事業として渡利浄水場のろ過池・送水ポンプが増設される。
 翌 23年、第2次拡張工事として八島田地内の旧簡易水道の湧水に水源が求められる。
 そして、昭和25年に、第3次拡張事業として、ここ清水水源ポンプ所が新設されたという経緯をたどるようだ。
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 その清水水源ポンプ所へ出かけてみたら、更地になっていた。「ふくしまの歴史」では、現在は近郊の水源として供給しているとのことだったが、その役割を終えたようだ。

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 このポンプ場は、昭和25年(1950)に拡張工事が始まり、昭和28年(1953)に完成する。
 昭和29年(1954)には、その完成を祝って記念碑が建立される。
 その記念碑が、この松の木の下にぽつんと残る碑なのだろうと思う。

 現在、ここが「清水水源ポンプ所」であったことを示すものは、門柱とこの記念碑だけのようだ。
by shingen1948 | 2011-02-09 05:10 | ◎ 水 | Comments(0)