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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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岩代清水の泉と池をめぐる~福島の水道とかかわって⑨

 「大清水」「監獄署水源」「福島町水源」を確認してきたら、散歩のスタートだった「柳清水」についてのイメージが、最初の出会いよりはっきりしてきた。
 現時点の「柳清水」のイメージについて整理し直す。
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 まずは、福島町への引水について
 明治 9年(1876)「柳清水」から福島へ引水が計画されるが、これは中止される。
 明治11年(1878)鐸木(すずき)三郎兵衛氏他の有志が、「柳清水」に石積貯水池を造り引水する。この水道は、個人専用の井戸は有料だが、共同井戸は無料だったという。

 明治18年(1885)「柳清水」水源水道が、福島町所有になる。ということは、この時点まで、個人、あるいは有志の仕事ということだ。事が決まるのに、個人あるいは個人集団が先に実施し、それを公が追従するという流れがいい。公の仕事とは?という原点を、模索を通して確立していく姿にも見える。
 なお、同年、福島県監獄署の水道は、現ほたるの池公園南側の池を水源に水道が引かれる。
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 「柳清水」から福島への引水は木管だったが、明治22年には、これが陶管に換える大工事が行われる。この工事を記念して稲荷公園に水道碑が建立される。その記述によると、福島町は、曽根田村や腰の浜村と合併による水課題を、この泉村(清水)から引いた水道の整備で解決したということだ。
 「福島市史」によると、この記念碑では明治22年で完成したことになっているが、実際にはその改修にかかわる予算が数年計上され続けているとのことだ。実際に記録されている以上の悲願の大工事だったということのようだ。
 この記念碑は、この後の水道の歴史を刻む旧渡利浄水場近くに移動された。福島市の取水が摺上川に移ったので、現在はこの渡利浄水場は使用されていない。柵の中にあって近づくこともできないこともあって、どこか場違いな雰囲気の中に残されている。

 福島県監獄署には、別に現ほたるの池公園南側の池を水源に水道が引かれているが、この時点での福島町水道の水源は、ここ「柳清水」だった。
 明治36年(1903)になって、現ほたるの池公園の配水池も福島町水道水源になるが、ここ「柳清水」も活用されていたということのようだ。今も現役なのだろうか。

 ※ 先に、「森合村と清水村の境界線を確認すると、この時点(明治37年)でこの大清水一帯が福島町に編入されたということが分かる。」とした。
 そのことについて、「この時点(明治37年)で、合併したのは、森合村の東側の一部だった」というご指摘と資料を頂いた。当方の勘違いは明らかなので修正する。「福島の水道とかかわって⑧」の福島側の思いとしての読み取りまでは間違いなさそうなので、境界線についてふれた部分以下をカットする。
by shingen1948 | 2011-02-08 05:29 | ◎ 水 | Comments(0)