地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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松飾りを納めた泉八幡神社と羽黒神社

 泉八幡神社の案内板に、慶長年間以来、南沢又の泉澤山久盛院で祭事を司ったが、明治以降は羽黒神社宮司が祭事を司ることになったとあった。その祭事を譲った泉澤山久盛院については確認したが、明治以降、祭事を任された羽黒神社宮司はそのままだった。
 その宮司にかかわって、「信夫山散策路」では、「大わらじ出発式は羽黒神社の富田宮司の神事で始まった」とあるのを見つけた。
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 この方は、「黒沼神社」の情報でも登場する。黒沼神社は、元和三年(1617)中興祖富田出羽藤原近宮とのことで、冨田氏が神職を勤められているらしい。
 更に福島県護国神社にかかわる広報資料によると、明治12年10月4日に創建されたる福島県護国神社の前身招魂場の境内は、この冨田氏が提供したものらしく、この宮司も冨田氏だということだ。
 信夫山の神社は、この冨田氏が管理も行っているということらしい。

 創建時の招魂場の本殿は、現在の黒沼神社の本殿であるとか、この時の拝殿は、笹谷の熊野神社拝殿に活用されているという情報もある。このことからは、信夫山に限定的された管理範囲ではなく、地域の神社にも随分強い影響力を及ぼしている事が分かる。
 泉の八幡神社も、その国の方針の大きな時流に乗った対応だったということらしい。
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 なお、この信夫山天満宮は、昭和63年に福島県護国神社がかかわって創建し、大宰府御分霊を名乗るのらしい。
 その精神的な共通項は分からないが、怨霊信仰とかかわるのだろうか。
 戦死者の方も天満様も、非業の死であり、その生を全うできなかった悲惨な死を遂げた方ということだ。その怨念のある方を御祭神として丁寧に祀り込むという思想とのかかわりと推定してよいのだろうか。
by shingen1948 | 2011-01-29 05:20 | ◎ 信仰と文化 | Comments(0)