地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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飯坂散歩⑳:満願字観世音

 飯坂散歩の中でここを意識したのは、天王寺の散歩後だ。それまで、ここを特に案内されることもなかったし、意識したこともなかった。天王寺の散歩で、信達33観音12番札所を意識して、ここが飯坂の満願字観世音かと思ったという経緯だ。
 それから、時々ここに立ち寄るが、何時も手入れをしている方がいらっしゃる。信仰心が薄いのが負い目で、こそこそとしてしまう。
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 何度か立ち寄っているので、写真は撮ってあるはずと探してみたら、これ一枚だった。意識の中では、安永9年(1780)奉納というお地蔵様(左側に写り込んでいる)、満願寺とかかわるだろう石碑群は気になっている。
 その満願寺は、「信達33札所観世音霊場」によると、古い図面があって、それにはこの北側に別棟の籠り堂があったという。その籠り堂の南側に小堂があって、その奥に仏間がある建物があったとのことだ。そして、その堂前に札張堂があったとのことだ。
 この建物が、そのどの建物にあたるのかは読み取れなかったが、籠り堂が満願寺であったろうとしていることは分かる。
 その満願寺は、念誉山満願寺岩城専称寺末寺「信達両郡寺社院」とのことだが、これらは明治13年の飯坂大火で焼失して、観音堂だけになっているということのようだ。
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 これ等の情報から、散歩の中では、八幡神社境内の村崎神社や、

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 その脇の山神や道祖神の石塔群の東側にある窪地に、その満願寺を想像する。そのことで、この八幡神社辺りの地域の祈りの空間の広がりを意識する。


 この寺が、宝暦7年(1757)桑折無能寺の支配下に入るのは、浄土宗ということと岩城の専称寺の末寺ということによると想像されるらしい。
 なお、岩城の専称寺の寺伝「梅福山主歴代」には、「13世 良実 真蓮社霊達 同州信夫郡満願寺開山 明暦3年7月23日寂」とあるとのこと。
 開山者が明暦3年(1657)に亡くなられていることからは、この寺の開山はそれ以前と推定されるだろうし、専称寺の寺伝に記載されていることからは、それなりの寺歴を持っていただろうと推定されるということだろうか。

 安置されるのは、中央に本尊厨子、十一面観音、法然上人像とのこと。その他の像は、「信達33札所観世音霊場」では地蔵とし、「信達33観音のみち(村井幸三著)」では、阿弥陀三尊、厨子に阿弥陀仏座像とする。散歩人に分かるのは、ここに手を合わせれば、いろいろな祈りができるらしいということぐらいだ。
by shingen1948 | 2011-01-24 06:39 | ◎ 信仰と文化 | Comments(0)