飯坂散歩⑲:天王寺観音堂
2011年 01月 23日
信達33観音を順にたどれば、信達33観音12番札所は飯坂湯町の満願字観世音なので、飯坂散歩に戻ることになるということだ。
「信達33札所観世音霊場」によると、ここ信達33観音11番札所天王寺観音堂の御本尊は、千手観世音菩薩とのことだが、鎮座するのは室町時代の臨済宗寺院の御本尊である本尊である宝冠釈尊と断じてよいとしている。
元禄年中の山火事で本寺が焼失するが、この時に観音堂も焼失していると推定しているようだ。それで、天王寺仏殿の新本尊釈迦三尊像を造るときに、旧本尊の宝冠釈尊を観音堂の本尊として安置したのではないかと推定している。
その左側にこの寺の開祖とされる聖徳太子孝養像も鎮座するとのことだが、ここを散歩する時点では意識していなかった。
また、先に記したように、境内にあった毘沙門堂が復興出来ずに観音堂に仮寓しているとのことだったが、観音堂の左端が、別尊である毘沙門堂も兼ねているらしい。
これらは、散策後に確認しているだけで、実際の散策では確認しているわけではない。歴史が古い分、複雑な要素が絡み合っていて、案内板を読んだだけではその言わんとすることが分かりにくい。 「信達33札所観世音霊場」で、改めて御本尊を確認しているのは、次のような事情があるかららしい。
この天王寺観音堂の御本尊について、「信達一統志」では、「本尊千手観音 3月18日祭礼」とあるらしい。また、寺伝では、恵信僧都作聖観音とあるらしい。現況は宝冠釈尊が安置されていることから、「信達33札所観世音霊場」では、これ等が火災で失われたか傷ついたかして、旧天王寺本尊を観音堂の本尊として安置したのではないかと推定したようだと思われる。
案内板ではこれらが一緒に解説されているので、複雑に感じてしまったらしいということが分かった。頭の中を整理して、もう一度散策し直してみたい。
なお、中央の宮殿は、堀切家が寛政8年(1796)に寄進したもので、中に墨書もあるらしい。これも飯坂の散歩とつながることだと思う。
どうでもいいことだが、今写真を張り付けていて、幕の紋が伊達氏のマークと同じだということに気く。