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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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飯坂散歩⑰:公園計画と天王寺⑤~経筒③

 「天王寺公園碑」のあったところが、「如法堂跡」であり、そこに「経塚」があったということだ。
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 自分には、その「如法堂」についての知識が無い。辞典等でその概略の解説を読むが、なかなか実感が持てない。
 しっくりいく解説に出会えたのが、「如法経石碑解説」(篠田通弘山の考古学研究買会員)だ。一般論で、天王寺の解説ではないが、そこから想像を膨らませる。
 「如法経とは」として、次のように解説する中で、如法堂の役割と経塚が作られた事情が読み取れる。
 決められた作法に則り法華経などの仏典を写経することで、わが国では8世紀には既に東大寺などに如法経の写経供養を行うための如法堂が存在していたことが知られている。 
 日本では平安時代後期の11世紀に末法の世が到来すると信じられたため、経典が失われる事を恐れて11世紀から12世紀にかけて盛んに経塚が作られた。

 「経塚とは、」として、その仏典保存法とかかわって解説する。
 如法経書写された巻物の仏典を金属製の経筒などに入れて地中に埋納し、56億7000万年後の弥勒の来迎まで保存しようというもので、上を土で盛り上げたので経塚と呼ばれている。

 「門葉記」などを参考に、その手順を次のように示す。
 ① 1日3回の勤行をする。
 ② 写経所の準備をする。
 ③ 関係する僧侶の沐浴、潔斎をする。
 ④ 写経紙をむかえ草筆を用い手袋と覆面をして写経をする。
 ⑤ 写経終了後、十種供養を行い経典埋納の段階にいたる。
 ⑥ 壮厳具が整えられ、「供養如法経式」によって経典が読まれる。
 ⑦ あらかじめ掘ってあった埋納穴に麗水、焼香、散花がなされ、経筒埋納する。
 ⑧ 石の蓋で覆い、「行道合殺」作法して去る。

 ※ 一般的な常識なのか、「行道合殺」の解説はない。自分としてしっくりした解説を探す。
 「合殺」(かっさつ)
 漢音で称名を繰り返すことらしい。たとえば、阿弥陀仏なら「アビダフ」を六回、八回、十一回などと称えること。
 「行道」(ぎょうどう) 
 列を作って読経しながら本尊や仏堂の周りを右に回って供養礼拝することらしい。回る対象により、遶仏・遶堂などともいうとか。
 これらから、「行道合殺」作法を、「日本国語大辞典」の【合殺】で解説する「読経・行道の最後に本尊の名号を唱える作法」と勝手に解釈する。

 天王寺にも当てはまることなのかどうかは分からないが、これらを元に勝手に「如法堂跡」で行われたことの想像を膨らませる。
by shingen1948 | 2011-01-21 05:17 | ◎ 信仰と文化 | Comments(0)