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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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飯坂散歩⑯:公園計画と天王寺④~経筒②

 案内をされる方は大概が専門家の方なので、ある程度知識を持っている事を前提にして解説して下さる。この天王寺について整理が遅れたのは、当方には、その前提となる知識を持ち合わせていないので、なかなか納得していないことが多いという事がある。
 例えば、「如法堂」とか「経塚」について、その作法や願いについてよく知らない。それで、実感を持って納得していないところがあるのだ。それを少しずつ確認しながら納得できたように感じたことから整理しているという状況だ。

 「如法堂」とか「経塚」の存在から、この寺の縁起にかかわる解説を確かめる。
 「信達33観音札所観世音霊場」では、この経塚と教派を結び付けて、この天王寺は天台宗密教寺院だったと考察する。そして、承安元年(1171)の出土品から、当時の僧が定心という方だったと紹介する。
 この寺は、現在は臨済宗寺院ということだが、それは鎌倉時代末の改修とするが、確定的な史料はないという。
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 「信達33観音札所観世音霊場」が、それらの事と飯坂氏の中興を含め、「天王寺の歴史」として次のような寺の縁起を紹介する。
 ○ 当寺の古記(寺伝)によると、用明天皇(32代)2年、厩戸皇子(聖徳太子)が、仏法密教の道場として難波の四天王寺を中心として四方の国々に四天王寺を建てられた。
 この天王寺は、その諸国に草創した四天王寺の一寺で、天王山天王寺と唱えたと伝えられているという。
 羅生門天王、千手観音、地蔵菩薩を安置したのが、はじまりだという。

 ○ 明治32年裏山の公園開削中に、承安元年(1171)の経塚出土品が発見されたことで、天台密教寺院になったことが分かり、当時の僧は定心とのことだ。
 ○ その後、鎌倉時代末には臨済宗に改修したといわれている。その後、臨済宗としての盛衰があり、天正3年(1575)に、飯坂城主右近将監宗康が、住持とはかり、中興して、堂宇などを再建したという。(※ 「ふくしまの歴史」で、本宮氏の御子息とするのは、この時の春翁正堂和尚だろうか)
 この頃、伊達政宗が天王寺温泉での湯治をかねて、この寺を参拝しているという。

 現在の堂宇は元禄年間(1688~1703)に火事で焼失した後の宝永7年(1710)に再建された古建築で、米沢法泉寺の末寺で妙心寺派に属したとのこと。
 境内には、札所観音の他、毘沙門堂があったが、復興が出来なかったので、観音堂に仮寓しているとのことだ。
by shingen1948 | 2011-01-20 13:04 | ◎ 信仰と文化 | Comments(0)