地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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飯坂散歩⑮:公園計画と天王寺③~経筒

 天王寺経筒は、案内板によると、現在同寺の宝物殿にあって、他の宝物と共に100円で拝観できるらしい。
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 この天王寺を散歩した時には、実物を見なかった。
 家に戻ってから、この経筒について確認する。
 マホロンの「天王寺経塚」の説明では、「「承安銘の三経筒」の一つが発見された場所で、経筒には承安元年(1171)に糸井国数らが経典を入れ天王寺如法堂に納めたことが書かれています。」とある。写真から、そんな感じが読み取れそうな気になる。
 「ふくしま散歩」では、「この経筒は、陶製で、完全に残る経筒としては日本でも珍しいものの一つで、伊勢の国、朝熊山、及び宇治山田、世義寺威徳院の経塚から発掘されたものに次ぐ重要な文化財として、昭和11年国宝に、更に戦後、国の重要文化財に指定されたものである」と紹介する。

 銘文について、「ふくしまの寺院」では「右志者為慈尊三曾之暁同令一仏浄土往生也」だと紹介する。「ふくしま散歩」では、銘文は「一切の人々、往生の暁は極楽浄土に住むことができるようにと、弥勒菩薩に願いをかけて経文を埋めたものであろう」と紹介する。
 何となく込められた願いを理解する。
 更に、「ふくしま散歩」では「願い主は、この地方の有力者であった糸井国数・藤原貞清・白井友包・藤原末遠だ」とし、マホロンの説明の「糸井国数ら」の「ら」について詳しく名前を挙げる。

 その他の情報として、「ふくしまの寺院」では、(経筒は、)東京大震災で焼失したが、幸いにも桑折町平沢寺に拓本が残っていたと紹介する。また、明治37年に須賀川市米山寺跡で発掘された経筒の銘文と同一形式だとか、小勧進という発願主は同一人物だとかと紹介する。
 また、「これは、岩瀬郡西袋村日枝神社所蔵の経筒、伊達郡睦合村平沢寺の経筒の銘文にも見られるという」と紹介するが、伊達郡睦合村は、現桑折町なので、「ふくしまの寺院」がいう「桑折町平沢寺」と「ふくしま散歩」でいう「伊達郡睦合村平沢寺」は、同一寺と思われる。
 この中の焼失情報については、今のところ不明だが、これらの情報を組み合わせると、経筒のおおよそが分かったような気分になる。ただ、マホロンの説明に言う「承安銘の三経筒」の、もう二つが分からない。
 「ふくしまの寺院」によれば、須賀川市米山寺跡から発掘された経筒と、桑折町平沢寺の経筒とも思えるし、「ふくしま散歩」のいう岩瀬郡西袋村日枝神社所蔵の経筒、伊達郡睦合村平沢寺の経筒とも思える。
Commented by TUKA at 2011-01-19 18:03 x
須賀川市立博物館展示の経筒の説明によると、
米山寺、天王寺、平沢寺の3経塚とのことで、
同時期、同一人物が勧進したとありました。
天王寺の経筒は未見なので、隧道の件も含めて確認してみたいですね。
Commented by shingen1948 at 2011-01-21 06:06
情報、ありがとうございます。
当方も、「信達33札所観世音霊場」に「須賀川市日枝神社裏山」と「桑折町平沢寺」とある情報を見つけたところでした。
言い方が違うだけで、同じことをいっているようですね。
by shingen1948 | 2011-01-19 05:03 | ◎ 信仰と文化 | Comments(2)