地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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飯坂散歩⑫:天王寺と飯坂氏のかかわり③

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 天王寺の散歩に出かけたのは、昨年の3月末で、そのまま整理をしないでいた。
 それを、今回の飯坂散歩とつながることから整理している。
 その一つが、飯坂古舘主の飯坂氏だが、追えるのは14代右近将監宗康までだ。宗康には男子が無く、娘の飯坂の局も、天正9年(1581)に、政宗の側室として米沢に行ってしまったとのことだ。

 天王寺の散歩で、飯坂氏とのかかわりを追えるのは、ここまでだ。この後は、飯坂の局で追う事になるが、散歩としては宮城へ移ることになる。
 とりあえず、「天皇寺」の情報検索で、政宗の側室となった飯坂の局が、この飯坂氏を継いだ経緯の情報とつながる。

 飯坂氏とのかかわりでは、本当は黒川氏を婿養子としてする予定だったとかという話もあるようだが、想像の域を出ない。
 実際には、局と政宗との間にできた子である権八郎宗清が飯坂の名跡を継いだとか。ただ、その宗清にも子がなく、その後も桑折氏などから次々に養嗣が入るが、寛文中に飯坂家は断絶したとかということになる。
 政宗とのかかわりでは、のちに政宗の長子で伊予国宇和島城主となる秀宗を生んでいるとのことだ。

 なお、「福島の伊達氏(対馬亮資著)」では、「伊達世臣家譜」を元に、本県とかかわる政宗時代の一門として、石川昭光氏、伊達成実氏、岩城政隆氏、田村氏等と共にこの飯坂氏を挙げている。福島市飯坂を領す、のち断絶と紹介する。

 ※ 政宗の子については、その関係について諸説あるらしく、いろいろな説明がある。
Commented by TUKA at 2011-01-16 17:30 x
カーブミラーに背後にある石碑の碑文を確認するため
天王寺を訪れたことがあります。
「天王寺温泉碑」と言って明治に200mの隧道を掘って湯を引いた記念碑なのですが、
その隧道の現状は不明のままです。
Commented by shingen1948 at 2011-01-17 05:33
情報ありがとうございます。
「天王寺温泉碑」は気づきましたが、その内容までは分かりませんでした。
最近は、共同湯も天王寺温泉が穴原温泉と合わさってしまって、天王寺温泉の特徴が消えてしまって、情報までも確認が難しくなってしまっていますね。
この時は、経塚とかかわる「天王寺公園碑」の方を中心に散策しましたが、そちらの確認も面白そうですね。
Commented by shingen1948 at 2011-01-17 18:44
(追)
ご存知かも知れませんが、とりあえずお知らせします。
今日は、一日雪いじりで、時々、天王寺にかかわる本をぺらぺらめくっていたら、「ふくしま散歩」に、次のような天王寺温泉にかかわる記述をみつけました。
 天王寺温泉は、元々「立花屋」が経営していたもので、それは、かつて飯坂町長の出た「但木家」とかかわるということでした。天王寺のご住職も、その但木の姓らしいということで、地域の方と話をすれば、湯を引いたいきさつが確認できる可能性はないものかと……。
by shingen1948 | 2011-01-16 05:02 | ◎ 会津への路(伊達政宗) | Comments(3)