地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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飯坂散歩⑪:天王寺と飯坂氏のかかわり②

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 案内板によると、これが飯坂氏碑らしい。確認はしていないが、「飯坂盛衰記」など一つの主資料を元に説明されているのだろうと想像する。
 天王寺とのかかわりについて、古館の案内板でも、「信達33観音札所観世音霊場」も飯坂城主右近将監宗康を中心に説明され、天王寺は、飯坂城主右近将監宗康が天正3年(1575)に中興したとする。

 「ふくしまの歴史」は、これらの説明と微妙な違いで表現する。
 飯坂氏と天王寺のかかわりについては、「飯坂氏は、天王寺の外護者で、同寺を菩提寺としていました。」とする。そして、その根拠として、伊達氏13代尚宗が安達郡の本宮氏に宛てた手紙に、飯坂氏がその子息を天王寺の住職に決めたとあることを挙げる。
 そこから、飯坂氏が天王寺の住職を決定する権限を持っていたという捉え方をする。更に、家の名字を飯坂氏としていることから、飯坂一帯を治めていた事を推定する。
 その結論の表記が、上記だ。

 飯坂14代宗康氏と伊達氏とのかかわりでは、伊達輝宗氏が大波大膳氏の子平次郎が相馬氏と通じているとの密告に対する申し開きの際、飯坂宗康氏が、今後も奉公に励むように伝えると手紙に書いているとする。また、東根家臣団に、細かいことは、この飯坂宗康氏に伝えてあるという手紙を送っているとのこと。
 飯坂氏が伊達輝宗氏の代には重職にあったことを、これらの根拠を挙げて記述する。

 主資料を固める補助資料を大切にした説明をしているということだ思うが、散歩人にとってはより親しみやすく感じられる。その効果は、それだけにとどまらない。
 安達郡の本宮氏、大波大膳氏にかかわった散歩もしているので、そのつながりのようなことが感じられて、散歩での実感を発展することができるのだ。
 特に、安達郡では、伊達氏に関してはマイナスイメージが強く、単なる散歩人が、安達の方と伊達氏のつながりについての情報を得るのも難しい。そちらの散歩で得たのは、せいぜい、本宮南町創設に伊達政宗からの資金が流れているといった程度の情報でしかない。 
 恐らく、安達の散歩で、この本宮氏の御子息が飯坂氏とのかかわりで天王寺の御住職になられたという情報を得るのは、難しかったと思う。
 そういう広がりの効果を感じている。
by shingen1948 | 2011-01-15 05:04 | ◎ 会津への路(伊達政宗) | Comments(0)