地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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飯坂散歩⑨と天王寺

 今回の飯坂の散歩はここまでだったが、この散歩で確認していく中で、先に散歩をしてそのままだった「天王寺の散歩」と結びつくことがいくつかあった。
 とりあえず、そのことについてメモとして整理しておくことにした。

 まずは、飯坂氏と天王寺とのかかわりの情報では、「天王寺」が、その菩提寺とされることだ。
「信達33観音札所観世音霊場」の「天王寺の歴史」でも、この事とかかわる紹介がある。
 (前略)
 天正3年(1575)伊達氏の一族飯坂城主右近将監宗康、住持とはかり中興し、伊達政宗も天王寺湯治をかねて当寺に寄っている。
 (中略)
 当寺に飯坂宗康夫妻の位牌を安置し、墓は寺の南100mの所に當って老松があり五輪塔があった。これであるという。さらに北方に小塔があり、伊達政宗の側室である宗康の女「飯坂局」の墓とされる。

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 ここで案内された14代飯坂右近将監宗康の墓のようだ。
 古館の案内板でも、14代飯坂右近将監宗康が特記されるのは、飯坂の地名とかかわる飯坂氏ということと、伊達政宗氏の最初の側室とされる飯坂局の御実家ということが意識されているのだと思う。
 大河ドラマ「独眼竜政宗」放映とかかわって意識されたものなのではないかと想像する。

 ※ 「飯坂散歩⑧:飯坂古舘あたり」で気になって確認した消防署奥の神社について、「飯坂温泉観光とマップ寺社仏閣」に、次のような情報があるのを見つけた。このことを、1/14に付け加える。
 
現在飯坂消防署に隣接する八王子熊野大権現は、約110年ほど前、旧飯坂小学校の近くにありましたが、戦後まもなく現在の場所に移動しました。
 古舘地内で少なくとも3回移動しているといわれています。昔は現在の花水坂駅辺りから立町、古館にかけて立派な鳥居や参道が整備されていました。

 地元の生活に密着した信仰であったことと、この神社の移動の様子が読み取れる。
 もう一つ想像できそうなのが、八王子熊野大権現ということ。このことから、熊野大権現信仰から王子信仰との習合が想像され、それが八王子権現と結びついて、病気を払う力をもった霊威あらたかな神となって、この地に残っていたのではないかということの想像。
by shingen1948 | 2011-01-14 05:16 | ◎ 会津への路(伊達政宗) | Comments(0)