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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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飯坂散歩⑤:「家のあひ」よりほとばしる滝を求めて③

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 これは、旧若喜旅館と旧波来湯が更地になった時点の写真だ。詳細は後で確認したいが、写真などから得た情報の範囲で、「『家のあひ』よりほとばしる滝」があったのは、奥の緑の建物あたりだろうと思っている。
 この滝についての情報を、もう少し詳しく整理しておく。

 絵葉書でこの滝が確認できる十綱橋は、木の橋だ。古い絵葉書であっても、鋼橋になってしまうとこの滝は建物に隠れてみえなくなる。その滝の位置の建物の後ろに木が写っているという状態になる。橋の変遷とともに、湯野温泉街の変遷を意識させられる。
 十綱橋の歴史については、「福島の建築 29」と「福島の建築 29ー2」で確認している。このことと、この滝のあたりの風景を関連させられるのは、今のところ木製か鋼橋かということしかない。

 最初の橋が、明治6年(1873)熊坂惣兵衛と盲目の伊達一が架けた橋だ。これは、勿論木造の吊り橋だ。これが、半年で落ちてしまう。
 その後、明治8年(1875)に、橋本館の新館の所から斜めに橋が架かかる。宮中吹上御苑の吊り橋を模して10本の鉄線で支えられていたという。明治16年(1883)に、大修繕が加えられ、更に明治24年(1891)には、県費の補助も受け、伊達信夫両郡の負担で大修繕が施工されたとのことだ。 この2年後に子規が来る。
 この旧橋の歴史が長いようだ。しかし、この橋も漸次橋体が傾き,明治43年(1910) 8月27日に大出水のために落橋する。これを明治45年(1912)4月から修繕されたという。
 ここまでが、木橋の風景ということになる。

 鋼橋になるのは、大正4年(1915)9月に完成された橋で、昭和40年(1965年)に大補修が加えられるということだ。
 恐らく、大正時代には、この滝はなくなっていたと考えられるということだろうか。
by shingen1948 | 2011-01-09 07:38 | ◎ 芭蕉の足跡 | Comments(0)