地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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飯坂散歩④:「家のあひ」よりほとばしる滝を求めて②

 「もう一つの奥の細道」29で、子規が歩いた「本宮駅→二本松駅」・「福島駅→桑折駅」までを整理する中で、その時点で気になっている事を具体的に三つ挙げた。
 その一つは、子規が訪ねた時期、黒塚に渡るのは「供中の渡し」だったのか、「供中橋」だったのか確認していないことだ。
 それから、飯坂温泉湯野側の滝が切湯近くだった可能性がある写真を見たことと、更に、子規が福島や飯坂で宿泊した旅館は、まだ曖昧のままであることとした。

 その二番目の「飯坂温泉湯野側の滝が切湯近くだった可能性がある写真を見たこと」というのは、「ふるさとの想い出写真集明治大正昭和の福島(大竹三良編著)」に大写しの十綱橋が載っていて、その背景になっている切湯近くに、滝らしきものが写っているように思えたのだ。ただ、ぼんやりとした感じだったので、曖昧な表現にしていた。

 今回、飯坂の散歩で、堀切邸での収穫は、「飯坂鯖湖こけし」だけではなかった。このぼんやりとした感じだったことが、やや確からいという風に思えた事だ。
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 堀切邸の十間蔵では、椎野健ニ郎氏の作品展をやっていた。そのなかの「子規が歩いた飯坂の道(平成5年7・8月製作)」に、この滝が描かれていたのだ。

 (撮影禁)なので文章だけになるが、古い地図にある井サノヤとシミズヤが逆に描かれてはいるが、シミズヤから南に並ぶ旅館群と切り湯の間にその滝は描かれていた。伊佐のヤは、その滝をまたいで建っている。キツネユと切り湯の間の現在も見える滝も描かれていた。

 ずっと気にしていたのは、子規は、芭蕉のように実際に見えた景色を加工することはなかったと思えている。だとすると、「家のあひ」よりほとばしる滝は、十綱橋から見える位置でなければならないという思いがあったのだ。
 「はて知らずの記」で、「向かい側の絶壁によりそって、三層楼が立ち並ぶ間から、一條の飛爆玉を噴て走り落ちるのも珍しくいい景色だ」と表現するのは、十綱橋までの散歩の中だ。
 その確かな風景が見つからないでいたのだ。
 「「家のあひ」よりほとばしる滝を求めて」は、そんな曖昧さの中で整理していた。

涼しさや瀧ほどばしる家のあひ 子規
 
 恐らく、シミズヤから南に並ぶ旅館群と切り湯の間に描かれた滝が、一條の飛爆玉を噴て走り落ちる滝なのだろう。そう感覚的に納得したうえで、想像することができるようになった。

 子規から2年程時代が経ってここを訪れた鏡花が、「藤の花なる滝」に感嘆したというのもこの滝だろうと思う。繰り返すが、文人が共通に感じる風景なのか、それとも、鏡花が子規の影響を受けているのかは、分からない。
by shingen1948 | 2011-01-08 05:06 | ◎ 芭蕉の足跡 | Comments(0)