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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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飯坂散歩① ~ 西根神社

 昨年に続いて、今年も家族に付き合って西根神社と高畑神社に新年のお参りに来た。
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 この天満宮の左奥に写っているのが、「寛永の碑」と「寛延の碑」の碑だ。昨年も、この西根神社の石碑について整理したが、TUKAさんから新たな情報を頂いている。それも加えて、もう一度確認しておく。

 ちょっと隠れているが、これらの石碑の左側には、「寛永の碑」の翻刻碑である昭和2年建立の「寛永の副碑」がある。こちらは、読み取れそうだ。昨年も刻まれた文字を確認しようと思ったのに、そのままになっている。
 この「寛永の碑」は、寛永10年(1633)、上堰完成の翌年に、古河善兵衛が自ら撰文し、建立した碑で、かつて旧取水口に建てられていたものという。
 「寛永の碑」などの石碑が西根神社に移動する経緯について、2つの情報があるが、これも確認はまだだ。
 その一つは、福島民報(大正15年8月24日)が「穴原上堰から珍しい古碑」の見出しで報じているらしいということ。
 もう一つが、TUKAさんから頂いた「伊達市市制施行記念 郷土の昔今」に、この寛永の碑が大正15年に農家の土留め石になっていたのを発見され、その時には既に2つに折れていたという情報があるということ。

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 これが、その隣の「寛延の碑」だ。
 寛延4年(1751)に建立された古河善兵衛頌徳碑だ。福島康善寺僧の撰文で、かつて穴原部落(旧地)の路傍に建てられていたという。「寛永の副碑」同様、刻まれている事が、読み取れそうだ。


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 これが、「正徳の碑」だろうか。確かに3つに折れた跡がある。
 情報は、
「3つに折れている正徳の碑は、大正15年に境内の石碑を整理した際、摺上大権現碑の台石になっているのが発見されたもの」とのことだった。


 昨年は、雪が降って道もぬかるんでいたので、ここから真っすぐ家路についたが、今年は暖かかったので、家族皆でそのまま飯坂散歩に出た。
by shingen1948 | 2011-01-05 05:18 | ★ 季節便り | Comments(0)