地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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福島自立更生促進センター考③

 福島自立更生促進センターが開設されたところは、福島刑務所の前身である監獄署が、明治15年(1882)から昭和30年(1960)まで、歴史を刻んだところでもある。
 この監獄署が、東北でも有数の近代化の象徴する建物として、誇り高く歴史を刻んでいて、恐らく、ここでも社会更生施設に対するマイナスイメージは薄かったはずだと思う。
 その事については、「福島の建物21」で、整理している。
 この福島監獄署は、明治17年5月に南裏通りから信夫山際に移転新築される。この建物が、自慢の文明開化を象徴する西洋式建物で、博覧会資料にも紹介さる。そして、県庁とこの自慢の信夫山公園と監獄署を結ぶ新道が設置されるのだ。その監獄署へ向かう新道を「監獄署通り」という。先に記した水源地から監獄へ水道を敷設するために新たに道が開発されるのだが、この道を「監獄新道」とされたようだ。
 この近代的な建物に水道施設を設置するための水源確保と管理によって、福島の水道施設の基礎が築かれたという事になる。

 福島刑務所は、後に水源確保と管理の中心になった地区だった現在地に移転することになる。そのことについて「福島の建物21の②」に整理した。

 背景にこのことがあったことで、保護観察所の上層部の方々は中央エゴの意識をオブラートに包むことなく発揮されたのではないかと勝手に思う。
 報道の大部分は、内容はいろいろだが、問題の本質から論じられていることが救いだろうか。
 今後、ある大手中央紙が言うように、受け入れ体制の充実が「待ったなし」の状態なので、時間が解決するということで、中央エゴの論が勝利するということになるのだろうとは思う。大義のために、そのマイナス要因を被る可能性の立場を自分以外に設定する説教論がまかり通るのは、ここだけの話ではない。

 なお、福島の水道の初めて物語の観点からとらえなおすと、「福島の建物21の③」でまとめてみたことのようになる。

 信夫山を訪れた子規は、この監獄署を地獄に例え、信夫山公園を極楽に例えるが、どちらも近代化の象徴という未来に向けた明るさがあったようなのだ。この子規と監獄署にかかわって、「「もう一つの奥の細道」⑬~「信夫(忍)の里」④」として整理した。なお、子規と極楽と称した信夫山公園にかかわっては「もう一つの奥の細道」⑭~「信夫(忍)の里」⑤として整理した。
 
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by shingen1948 | 2011-01-03 05:30 | ☆ 地域・自治話題 | Comments(0)