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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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子規が歩いた「本宮駅→二本松駅」・「福島駅→桑折駅」までを整理して:「もう一つの奥の細道」29

 福島駅に立った子規は、芭蕉の交流性のもやもやから解き放たれている。ここでは、本宮駅で芭蕉翁を追おうと思う意識はより純化されている思うのだ。
 解き放たれた見方で、黒塚→福島宿→飯坂温泉→桑折→名取の旅を通す中で培われた旅の姿勢が、仙台での行動につながるのだと思う。
 芭蕉翁は、須賀川でそうだったのと同じように、人頼みの物見遊山の旅をする。それに対し、子規は、芭蕉翁が訪ねた後を追う姿勢は同じだが、旧派宗匠を頼らない。これは、須賀川で感じた芭蕉翁の交流性の違和感から脱したのではないかと勝手に思う。そのことによって、自らの思いに任せた旅になったのではないかと思う。
 それが、芭蕉が訪ねた順に訪ねるのではなく、興味のある松島を先に訪ねた後、芭蕉が訪ねた名所旧跡も訪ねるという姿勢になっていることとかかわると見る。

 名所を訪ねる子規の姿勢も対照的だ。
 例えば、黒塚の観音堂では、「はて知らずの記」を読む限りでは、子規は神妙に案内されていたように感じる。寺僧に賽銭投じ、小堂を案内され、壁上の書、函中の古物を説明され、その縁起を説かれるのを素直に説明を受け入れている。
 それに比べ、瑞巌寺では、小僧の案内にもうっとうしいと感じている。寺の宝物である玉座・名家の書幅・邦の古物、八房の梅樹等、いちいち指示するというのだ。
 これは、子規の本来的な書生気分が表出しているように感じる。
 確かに、老僧であることや袈裟を正すその姿勢との対比もあるのだろうとは思う。しかし、それだけではなさそうだ。ここには、忠実に芭蕉翁を追う姿勢と子規自身の表出ということとの意識のバランス感覚がかかわりそうだと思うのだ。
 瑞巌寺や雄島の句碑を評価するということも併せて見ると、子規らしい自己表出ということとかかわるように思うのだ。

 この姿勢は、最初から持ち合わせたものではない。本宮→黒塚→福島宿→飯坂温泉→桑折→名取で成長させたものだ。一般的には、この辺りはほとんど注目されないのだが、本当は、子規の旅の心の変化を読み取るのには重要な要素を含んだところなのではないか勝手に思っている。

 散策では、細かい所で気になっていることがいくつかある。
 一つは、子規が訪ねた時期、黒塚に渡るのは「供中の渡し」だったのか、「供中橋」だったのか確認していないこと。それから、飯坂温泉湯野側の滝が切湯近くだった可能性がある写真を見たこと。更には、子規が福島や飯坂で宿泊した旅館は、まだ曖昧のままであること等々だ。
by shingen1948 | 2010-12-27 05:25 | ◎ 芭蕉の足跡 | Comments(0)