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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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「もう一つの奥の細道」27~黒塚⑦~省略された風景②

 南杉田の遠藤翁宅を後にした子規は、「幾曲りか曲って、長い二本松の町を過ぎて野を行く事半里で、阿武隈川を渡れば路の側老杉あり」ということで、先に整理した黒塚につながる。
 この道筋の途中、個人的に立ち止まったのは、まずは北杉田宿、「七夜坂」、杉田舘跡それから、大壇口古戦場だ。
 この大壇口古戦場は、「おくのほそ道自然歩道」でも紹介されている。
 この古戦場については、先に整理している。
 〇 大壇口古戦場を訪ねる  
 〇 再び、大壇口に戻って想う
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 この大壇口古戦場の丘から奥州街道の方を望むと、こんな感じだ。この写真は、大壇口古戦場を訪ねた時に撮ったものだ。
 この時のポイントは、奥州街道を挟んで二つの丘が迫るということで、二本松場内に侵入する敵を食い止める絶好の地形だったということだ。奥州街道をやってくる敵が、手にとるように分かるといったところだ。

 
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 今回のポイントは、古い奥州街道の名残が見えるということだろうか。
 その古い奥州街道から大壇口古戦場を眺めると、こんな感じだ。子規は、線路の脇道になった奥州街道を眺めながら、二本松の町をめざして進んだのだろう思う。


 北杉田宿については、先に、「奥州街道:杉田宿木戸跡 」として整理している。そこから先の道筋は道路の改修によって分かりにくくなっている。
 そのおおよその道筋を「奥州街道:杉田宿北の旧街道を確かめる」として整理している。
 その道筋は、西側の山を回り込むが、これが「杉田舘跡」だ。
 子規が見た風景といういうことで確認すると、奥州街道沿いの「舘跡」の高台だということと、現在は舘跡に移動した光恩寺という寺は、当時はこの山の下の奥州街道筋にあったということだ。この寺は、慈覚大師円仁が開いたと伝えられる古刹だとのこと。
 「七夜坂」は、その後に続く風景になるが、最近、ここで整理した歌碑について新たな情報を見た。
 この歌碑は、国道の改修工事に伴って、奥州街道筋の鈴木?製材所脇から現在地に移されたものと記述だ。整理した時には、歌碑を元に奥州街道筋を推測したことが、これが曖昧になってきた。
 奥州街道は、ここから大壇口古戦場を通り、二本松の町に入るというのがおおよその道筋だ。

 なお、二本松に入ってからだが、「おくのほそ道自然歩道」では、「亀谷」について、「坂を登り竹田町へ出るのが奥州街道だが、芭蕉はこの坂を登らない。この坂の途中に鏡石寺がある」と紹介する。子規は、二本松に入ってどんな道筋をとったのかは分からない。

※ 12/26修正
by shingen1948 | 2010-12-25 06:23 | ◎ 芭蕉の足跡 | Comments(0)