地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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「もう一つの奥の細道」26~黒塚⑥~省略された風景

 子規は、本宮から杉田宿の遠藤翁宅をめざして結構な距離を歩く。その間「奥の細道」でとばされた風景にも芭蕉翁を感じながら表現しようと試みる。しかし、子規なりの表現からも省略された風景があるのも当然なこと。
 その省略された風景の中で気になるのは、杉田宿手前の薬師寺だ。気になって先に訪ねていたのだが、整理しづらくてそのままになっていたところだ。
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 目につくのは、整備された石段と入口のところの水場だ。
 万病に効くと言う霊泉の説明と、「この水は飲めません」と書かれる注意書きのミスマッチ具合も面白い。しかも、そこには柄杓が準備されている。地元では、今でも飲む方がいらっしゃるのかもしれない。
 昔は飲んでいたという風習と、飲むなら自己責任ですよという注意なのだと思う。


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 これは、参道の最初の石段を上って、その途中から山頂を見ているが、この石段が続く。この石段が、右手に続いていく。

 入口に「おくのほそ道自然歩道」の表示があったので、先日、図書館でその「おくのほそ道自然歩道」の解説書を確認したら、次のような説明があった。

 杉田薬師
 眺望がよい。昔、温石を掘りだしよく売り出されたという。近くに長者宮、郡山台の古代跡があった。古くから栄えたところ。
 温石は、石を温めて真綿や布などでくるんで懐中に入れ、胸や腹などの暖を取るために用いた道具とのこと。大玉村の「温石古墳」も、この温石とかかわって命名されたものだろうか。言われてみれば、この辺りに石切り場は多いかもしれないとも思う。

 先の水場の側に建っていた説明板には、「霊泉由来」として、温石ではなく温泉が紹介されている。
「霊泉由来」 
 農夫太郎左エ門は、延宝5年(1677)正月2碑枕べに霊夢を見る。
 この事で南杉田温石沢に村人と発掘に入ったが霊体との出会いは成し得なかった。再び山深く立ち入りついに尊体のお姿を拝し得たのである。
 尊体出土せるその穴から泉が湧き出し、村人たちは、これを温め浴したるところ総ての病気が治癒し後には広く世間に知れ渡った。
 この霊泉を以って『薬師の湯』の起源と伝えられる。(中略)
杉田の名湯は、有名な眺望の薬師坂にあって人馬の往来には皆憩うた所であった。天下の霊水は以来万人の湯治場として賑わったと云われる。氏子一同によってこの源泉から引水され(約320m)此処に、その水場を施し、(後略)

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 先の石段を登ると、途中に小さなお宮があって、それを更に登りきると、山頂にお堂が建っている。その左手には鐘撞堂が建っている。
 
 個人名で書かれた先の案内板の説明の中段は、この薬師寺の創建にかかわる説明だ。

 太郎左エ門は、この山頂きにお堂を建立、薬師堂を開山創立す、時同年(延宝5年)2月である。尊体は、同年4月6日此の新堂にお祀りした。此処に至って、法名を天心と改め、堂守りに生涯を掲げられた。薬師浄土への光明が与えられてから310余年を経る。

 説明板にある「氏子」の表現とこの神仏折衷の風景に、古くから伝わる地元の信仰の心を感じる。
 恐らく、この仏教的な部分は、明治期に分が悪くなったものだろうと勝手に想像する。
 なお、長者宮、郡山台の古代跡については、先に「郡山台郡衙跡に立ち寄る」として整理しているが、位置的には北杉田宿から東に少し入ったところだ。子規とのかかわりでいうと、遠藤翁宅を過ぎた後の話になるが、その当時はここは発見されていなかった。

追記
 郡山台郡衙跡については、先の整理後も次のように整理をも試みているが、まだうまく整理できてはいない。
 〇 郡山台を訪ねて②
 〇 郡山台を訪ねて③<白河の郡衙跡とかかわるニュースから>
 〇 安達郡衙分置の意義
 〇 安達郡衙分置基礎データを確かめる
 〇 安達郡衙分置基礎データを確かめる②
by shingen1948 | 2010-12-24 05:11 | ◎ 芭蕉の足跡 | Comments(0)