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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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「もう一つの奥の細道」25~黒塚⑤

 遠藤菓翁を訪れる効果は二つあると思う。
 その一つは、芭蕉翁が、「奥の細道」の構成上省略した風景の表現の一つということだ。
 子規は、ここからただひたすらに芭蕉翁を追おうとしている。本宮宿では、水害の傷跡を描き、杉田宿ではこの遠藤翁を訪ねた事を描いたということだ。

 もう一つが、芭蕉翁の交流性の確認だ。
 前のフレームでは、幹雄氏の紹介状で訪ねた宗匠との交流にしくじっている。杉田宿の遠藤翁も紹介された宗匠の一人のようだ。
 「はて知らずの記」では、遠藤翁は、前に訪ねた宗匠達とは違って、真心をもって歓待してもらって、気分よく一泊したとする。

 子規は、氏を次のように紹介する。
 氏は、小さいころから多少の風流を解していたが、心を勧業に傾けて、専ら実利に務めていた。この地方では、多くの人々が氏の恩恵を受けている。
 60歳の時に全く公務を辞して、家政に励む一方で、再び風流に遊ぼうとしていた。
 これが、「正岡子規の福島俳句紀行」で、遠藤菓翁は味噌醤油の醸造業を営む財産家で、村長も務めた人物と紹介されることと重なるところだ。

 歓待については、氏の物言いの柔らかさも紹介する。
 辺鄙の田舎で何のもてなしもできないが、一椀の飯、半椀の汁で暫く飢えをことができる御馳走しかできないが、蝿蚤の間に一夜を明かすのも、一興だろうとの勧めだ。
 剛毅で、粗糲に失せず、とつとつとしているが、識見があるということで、気にいって話しこんでいると、突然のにわか雨ということもあって、勧められるままに一泊する。

 夕立に宿をねだるや蔵の家 
 蚊俯を共にして旅の労れをなぐさむ
 次の朝(23日)朝起きると、昨夜時鳥しきりに鳴いたのでと言って一句示さる。

 奥の細道の跡を遊観せらるゝ子規君を宿して
 草深き庵やよすがらほとゝぎす 菓 翁
 子規は、
 水無月をもてなされけり時鳥
 といって、その家を辞す。

 地元の俳句や子規に詳しい方は、前のフレームと対比して、真心をもって歓待され一泊したことに胸を撫でおろすのだろうか。確かに遠藤翁の人柄がにじみでるような紹介だ。
 しかし、ここでは、子規本来の書生気質の自負を隠し、宗匠然とする態度を軽蔑する意識を押さえ、幹雄の俳業の翳を認める姿勢を示したはずだという前提があっての話だ。
 そうすることでしか、芭蕉翁の交流性は体験できなかったという側面もあるように思う。芭蕉翁の交流性の否定が、このあたりで固まったのではないかと勝手に思う。

 この後、「幾曲りか曲って、長い二本松の町を過ぎて野を行く事半里で、阿武隈川を渡れば路の側老杉あり」ということで、黒塚につながる。「はて知らずの記」でも、ここからは、その間の風景が略される。
by shingen1948 | 2010-12-23 05:14 | ◎ 芭蕉の足跡 | Comments(0)