地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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「もう一つの奥の細道」24~黒塚④

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 本宮宿を後にして、この木戸跡(北桝形)を過ぎると、ここからは特に見るものも無い。


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  右手に迫る山際の道を、南杉田宿までおよそ3㎞の道をただただ進むことになる。左手には、平野の中に古墳群の高地越しに安達太良山が見える。
 200余年の昔芭蕉翁がさまよった姿を想像し、それをひたすら追体験に心を遊ばせる子規の姿が、想像できそうな風景だ。


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 この道筋は、やがてY字路に出るが、その右手が旧街道筋のようだ。その右手に薬師寺の案内が見える。この坂を下っていくと、再び先程分かれた車道と合流するが、その先が南杉田宿になる。
 子規は、その南杉田宿の遠藤翁を訪ねるが、この方は紹介された宗匠だ。


 子規が追う芭蕉一行は、無縁の奥の細道を辿っているようにイメージしそうになるが、実際はもっと優雅だったような気がする。地元の弟子を頼って訪ね、世話や案内をさせ、その調整がうまくいかない時には、付きそう弟子が不自由ないように世話をする。
 どう読み取るべきなのかは分からないが、こういう優雅な旅という側面も持っていたと思う。
 子規は、幹雄氏に紹介状を貰っているのだが、その理由の一つに、こういった芭蕉一行の旅の形を体験することが含まれていたのではないかと勝手に思う。この杉田宿の遠藤翁も、その紹介された宗匠の一人のようだ。
 子規は、この前のフレームで、「何ぞ近時の宗匠の無学無才無知卑俗平々凡々なるや」という思いをしている。子規は、権威主義によって自尊心を傷つけられているのだ。その子規は、それでもここを訪ねている。このことから、芭蕉一行の旅の形を体験したいという思いを勝手に想像する。
 「正岡子規の福島俳句紀行」によると、遠藤菓翁は、味噌醤油の醸造業を営む財産家で、村長も務めた人物とのことだ。
 ここでは、幹雄の俳業の翳を認める姿勢を示し、宗匠を軽蔑する意識を出さぬように、書生気質の自負を隠して、芭蕉一行の旅の形の体験に集中したのではないかと勝手に想像する。

 ただ、この後の子規は、紹介された宗匠を訪ねないようだ。少なくとも「はて知らずの記」には記録されない。これ以降は、その場で出会った人々との交流ということになるようだ。
 この事を、子規が芭蕉一行の交流性をここで捨て去ったと捉えたなら、地元の方には失礼になってしまうのだろうか。
by shingen1948 | 2010-12-22 05:41 | ◎ 芭蕉の足跡 | Comments(0)