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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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「もう一つの奥の細道」23~黒塚③

a0087378_5313015.jpg このフレームは、俳句に詳しい方にとっては関心が薄いことが多いようだ。子規の旅を紹介する本では、「本宮、南杉田などを経て、24日に福島に着いている。」というような紹介になる。
 しかし、ここに名所旧跡もないことや芭蕉が省略した世界であることを知っていながら、子規は、わざわざ「本宮、南杉田などを経」ている。ここで子規が目にし、表現したことに興味があった。

 それが、洪水の傷跡だ。
 数年前の洪水の傷跡が残って、今も昔の姿に戻っていないことに触れる。水の跡が門戸蔀などに残っていて、惨状聞くもおそろしいと。
 本宮市のホームページ「旧本宮町のあゆみ」によると、明治23年(1890)8月7日に未曾有の大洪水があったようだ。そこには、次のように記録される。
 
流失戸数111戸、潰家2850棟、水田冠水80町歩、畑冠水20町歩、被害総額221700円

 この年表には記載されないが、これ以前にも明治14年、18年、22年と洪水が続いているとも聞く。その上に、この未曾有の洪水があったということのようだ。子規がここを訪れるのは、明治26年で、この「数年前の洪水」から3年後だが、その傷跡がまだ残ったままだということだ。
 感心するのは、そういったこの土地独特の風景を嗅ぎ取っていることだ。

 この村は、地形的に阿武隈川に流れ込む安達太良川などの支流が交わるところにある。したがって、水害に遭いやすい土地柄で、毎年のように水害は繰り返されているわけだ。  
 この水害とその対策とかかわる風景は、今でもこの土地独特の風景として残る。
 この事については、先に「本宮水害対策 舟使用の意識の根底」として整理してみた。
 地元の方ののブログで、最近の大水害に遭った年の記録をみた。
 昭和16年・昭和24年<二つの台風>・昭和25年・昭和53年<水位・5.22m>・昭和61年<水位・8.48m:床上床下浸水した家1031戸>平成10年。
 この中で、阿武隈川の水位が異常だったのが昭和61年と昭和16年とのこと。

 
by shingen1948 | 2010-12-21 05:42 | ◎ 芭蕉の足跡 | Comments(0)