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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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「もう一つの奥の細道」22~黒塚②

 子規が「芭蕉が訪ねた黒塚」を訪ねるというフレームの切り方は、本宮駅に降り立ち、黒塚を訪れ、二本松駅までだと構想したのだろうと思う。
 「奥の細道」の中で、「芭蕉が訪ねた黒塚」は、浅香から一気にやって来る。その黒塚までの途中は描写されることなく省略されている。そこを、子規は、本宮駅に降り立ち、杉田の遠藤翁を訪ね一泊した後黒塚を訪れるという行程をとる。
「もう一つの奥の細道」22~黒塚②_a0087378_5332491.jpg
 「奥の細道」の本文では省略されるものの、実際には芭蕉一行もここを歩いている。子規は、その表現はされていないが、実際には歩いている芭蕉を感じながら黒塚に向かうという構想と思われる。
 ここは、奥州街道本宮宿を過ぎたあたりだが、ここを過ぎると現在も人家はなくなり、山裾の道を左手に広がる平地の中を歩く。このあたりは、東北本線が街道と平行に走っている。
 この道を、感覚を研ぎ澄ませて実際に歩くことで、芭蕉翁の思いを感じ取ろうとしているようだ。

 そこに名所故跡などがあるわけでもない。子規は、ただ200余年の昔、芭蕉翁がさまよったあとを慕って歩く。芭蕉もその足でこの道を踏んだであろうし、その眼でこの景色を眺めただろうと芭蕉が省略した世界を空想しながら歩いている。

 その人の足あとふめば風薫る(子規)

 その子規が降り立った「本宮駅」については、先に整理している。
 本宮駅は、今ではひなびた感じの古びた駅舎だが、古くは会津街道、相馬街道、三春街道の交点であり、鉄道の駅も早くから設置されていたとのことだ。

 ここを整理する時点では、野口英世が猪苗代から会津街道を歩いてきて、ここから東京に向かったことをイメージして整理している。子規がここに降り立って、杉田宿を目指して奥州街道を歩くことはイメージしていなかった。

 駅前の風景の一つ「造酒屋の煙突」を確認すると、この酒屋がここで創業するのが、明治20年ということで、子規もこの煙突のある風景を見ているようだ。
by shingen1948 | 2010-12-20 05:46 | ◎ 芭蕉の足跡 | Comments(0)